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白石駅 [旅行]

白石駅は、東北本線の駅である。福島駅から北へ約35分ほどかかる。”こけし”の町である。町のイメージとしては城下町で、白石城が復元されている。

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白石市の人口は約3万5千人。合併時は4万6千人だったというから、かなりの減少である。人口が減るのを恐れている。市の人にきくと、妊婦を見るとホッとする、というから、人口減少に対する危機感は強い。

駅に高架の歩道橋があったので上ってみる。

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遠く、蔵王連峰が見える。雪は蔵王連峰で止まってしまい、白石市にはなかなか降らないようである。こういう山は、霊山となり崇められる。信仰の対象となる。蔵王権現である。

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駅舎。

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駅前の交番。

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白石城方向へ町の中を歩く。

商店街。市の外部に白石バイパスができ、郊外店が立ち並んでいる。かっての中心商店街が寂れるのは、どの地方都市でも同じである。

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白石市役所。

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1月27日 藤原歌劇団「ナヴァラの娘」「道化師」 [雑感]

今年はオペラとバレエに見ようかと思っている。目が楽しめるだけ、オケ・楽器だけの演奏会よりも楽だ。

1月27日。14時から東京文化会館で。短めのオペラが二つ。上演したのはマスネ作の「ナヴァラの娘」とレオンカヴァッロ昨の「道化師」である。「道化師」と「カヴァレリア・ルスティカーナ」の組合せが普通だが、趣向を変えて「ナヴァラの娘」としたものらしい。

「ナヴァラの娘」はマスネの作品で、日本初演ということだ。約50分だから、小品である。初めてきいたが、旋律は親しみやすく、今まで上演されなかったのが不思議である。

ネオ・リアリスモの作品になるのだろうか。舞台が戦場であるのが生々しい。まったく華やかさがない。衣装も燻っていたし、装置もメカ的だった。

最後は、ヒロインは気が狂って「ハ、ハ、ハ」で終わる。これなら「ヴォツェック」風に作曲するのが似合いだが、初演が1894年ではまだ後期ロマン派の時代だ。

演奏は優れていた。柴田真郁指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。

アラギル:小山陽二郞
アニ田:小林厚子

藤原歌劇団とは懐かしいが、歌手の水準がどうかという問題がある。初めてきいたので心配したが、危惧は杞憂だった。日本人歌手の全体の水準が上がっていると思う。

「道化師」は有名な作品だが、これも初めて見たオペラである。話としては、「オテロ」タイプ。オテロは嫉妬のあまり妻を殺してしまうが、「道化師」では現実と道化芝居の区別がつかなくなって殺してしまう。

ネオ・リアリスモの作品と云うが、旋律はイタリア的で歌心に満ちている。感心して聞いた。

カニオ:笛田博昭
ネッダ:砂川涼子
トニオ:牧野正人
ペッペ:所谷直生
シルヴィオ:森口賢二

歌手は、男性陣については問題ない。朗々と声が響いていた。こういう歌唱を聴くと、なぜ新国立劇場のオペラ公演は外国人歌手を起用するのかと疑問に思う。

拍手喝采で終わったが、一般客がどれだけいるのかという疑問が起きる。業界関係者が多いのではないだろうか?



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1月20日 都響定期演奏会「トゥーランガリラ交響曲」 [音楽]

1月20日。14時より、東京芸術劇場で、東京都交響楽団の定期演奏会を聴く。指揮は、大野和士だった。ピアノがヤン・ミヒールス、オンドマルトノが原田節。

指揮者の前面にピアノとオンドマルトノが置かれたので、指揮者の大野和士は上半身だけしか見えなかった。

プログラム。

➀ミュライユ…告別の鐘と微笑み…オリヴィエ・メシアンの追憶に
➁メシアン「トゥーランガリラ交響曲」

①はピアノソロの小品で、4分ほどの作品。従って休憩なく、トゥーランガリラ交響曲の演奏が始まった。

トゥーランガリラ交響曲は全10楽章、演奏時間は75分程度。メシアンの代表作である(という。)

正直にいって、第3楽章、第4楽章でかなりかったるくなった。第5楽章の終結部が壮大で、これで耳が生き返った気がする。第6楽章は美しい。7,8,9楽章は”神妙”にきいた。他の人を見たが、神妙な顔をして聞いていた(気がする。)

第10楽章は、「アッシジの聖フランチェスコ」と同じく、壮大な音の山を築き上げた。都響もフル稼働していたのではないか。

こういう演奏をきくと、わざわざ高い金を出して外国のオケをきく必要もないと感じる。外国のオケのチケット代で、日本のオケなら3回か4回聞ける。コストパフォーマンスを考えてしまうところだ。

この曲のデータを見ると、初演は1949年で、初演者はバーンスタイン=ボストン響だったというのは意外である。録音好きのバーンスタインはなぜこの曲を録音しなかったのだろう。その代わりというのか、弟子の小澤征爾が録音している。




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1月13日 キエフ・オペラ「トゥーランドット」 [音楽]

1月13日。オーチャード・ホールでキエフ・オペラ「トゥーランドット」を見る。

指揮:ミコラ・ジャジューラ
管弦楽:ウクライナ国立歌劇場管弦楽団

トゥーランドット:オクサナ・クラマレヴァ
カラフ:セルヒィ・パシューク
リュー:リリア・フレヴツォヴァ

「トゥーランドット」について知っていたことは、アリア「誰も寝てはならぬ」だけ。予習もせず、ぶっつけ本番で見る。

おおまかな印象は、スペクタクル・オペラであるということ。

中国が舞台で、トゥーランドットとは中国のお姫様の名前である。中国人の名前とは思えないが。「トゥーラン」なら中国人風にきこえるが、「ドット」が余計だ。

このトゥーランドットなるお姫様が三つの謎を出す。謎を解いた男と結婚するという。解けなければ…首を切り落とす。なんとも残酷な女だが、中国の女なら、あり得るかもしれないと思うところがミソ。中国の悪女は凄い! 則天武后のイメージがあるからだろう。

私なら、「トゥーランドット」とせず、「氷姫」と題名をつけるとことだ。

第2幕の謎解きは、スフィンクスとオイディプスの故事をヒントにしていることは明らかだ。これが結構面白い。オペラは台本が大切だということが、よく分かる。

残酷さにも事欠かない。第1幕では、謎を解けなかった男が首を切られてしまうし、第3幕はリューの拷問と自決がある。

音楽はプッチーニ節満載で、なんの抵抗もなく受け入れられる。プッチーニは第3幕のリューの死までを作曲して死んでしまったので、そのあとの結末部は補作である。グレードが落ちるという評価だが、気にならなかったな。

ミコラ・ジャジューラ=ウクライナ国立歌劇場管弦楽団の演奏も良かった。新国立劇場オペラハウスのオケもこのぐらいの音を出してもらいたい。

瑕疵があったとすれば、カルフを歌った歌手か。声が弱かった。

最後のトゥーランドットの歌う”それは愛”は感動的だが、ホールの外に出てしばらくすると、こんなことがあるだろうかと思う。根性悪の姫君の一時の感動のなせる台詞である? いずれカラフの寝首を掻くに違いない? 高齢になると、素直に感動できません。


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1月11日 ル・グラン・ガラ2018 [音楽]

1月11日。18時半から。東急シアターオーブで。

シアターオーブは、ヒカリエの中にあった。

パリ・オペラ座のエトワールの踊りである。エトワール=プリンシバルと理解する。

曲は。すべてワーグナーだった。

ヴェーゼンドンク歌集

 ジェルマン・ルーヴェ(エトワール)
 ユーブ・マルシャン(エトワール)
 オニール・八菜(ソリスト)

トリスタンとイゾルデ

 ドロテ・ジルベール(エトワール)
 マチュー・ガニオ(エトワール)

③フィナーレ 「タンホイザー」序曲の終結部。

 5人全員。

振付は、ジョルジュ・マンチーニ。

「トリスタンとイゾルデ」を見たかったのだ。どういう振付をするのか。絡み合うような振付になることは予想できた。中間部が一番難易度が高かったような気がする。

コスチュームは、なんというのか。体操着のようなもの。男は上半身がむき出しで、女性は脚がむき出しである。

振付よりもバレエ・ダンサーの体に驚いた。いつもはコスチュームで覆われていて気がつかないが、筋肉の発達している。ムキムキの筋肉マンだ。

考えてみれば、女性ダンサーをリフトしたり、抱え込まなければいけないのだから、筋肉があるのが当たり前だ。

女性ダンサーの脚も筋肉がすごい。筋肉が浮かび上がっていた。「トリスタンとイゾルデ」を踊ったドロテ・ジルベールは興奮したのか、最後の方は乳首の突起が分かった。ヘンな所へ目が行ってしまった。

振付については予想通りだが、「トリスタンとイゾルデ」でしきりに痙攣させたのは、見た目が美しくない。

「2018」と言うことだから、また来年もあるのだろうか。

そういえば、カーテンが下りた後、舞台方向から歓声が聞こえた。うまく踊れたということなのだろうか?



 

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