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有栖川記念公園 [雑感]

有栖川記念公園を散策する。もともとは有栖川宮の御用地だった。有栖川宮家が廃絶したあと、公園化された。

有栖川記念公園は地下鉄日比谷線・広尾駅の近くにある池泉回遊式日本庭園である。公園の両側が坂道になっていて、この公園が台地の上と下に拡がることを示している。日本庭園はこういう例が多い。滝があり、その水をたたえる池がある。滝が流れ出すような台地に作庭する。

晩夏で緑はまだ深い。

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日本庭園であるから、滝が付き物だが、池の周辺には見当たらない。

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流れに沿って歩く。

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最奥がここで、滝ではなかった。

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都心とは思えないような森が形成されている。

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グルッと一回りして、やっと滝を見つけた。

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池に戻る。

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池の水がどこに流れていくのだろうかという疑問が起きたが、広尾駅前の十字路は広尾橋というから川があったのだろう。今は暗渠になっていて見えないが、ここに流れていくのだろう。

有栖川記念公園は森を形成しているので森林浴にはもってこいだが、紅葉の季節も素晴らしいようだ。










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クローニン「城砦」 [雑感]

日経にA.J.クローニンの「城砦」の広告があった。

エエーッと言う気がした。忘れた亡霊に出会ったような気分だ。

クローニンは、1950年代、60年代にはよく読まれた。全集も出版されていたぐらいだ。

いつの間にか忘れ去られ、私も忘れていた。

「城砦」は全2巻の小説で長いから、もう読まないだろう。
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映画「荒野の決闘」(ジョン・フォード) [雑感]

「荒野の決闘」を見る。ジョン・フォードが戦後に監督した最初の映画だ。1946年の作品だから、もう78年前の映画だ。

終戦後、西部劇に夢中になった少年時代を送った世代にとっては忘れがたい作品で、今見ても、全然褪せることがない。モニュメントバレーの風景が懐かしい。

ジョン・フォードの詩情とよく云われるが、風景の撮り方が独特で、雲が特に美しい。この映画でも堪能できる。カメラは、ジョー・マクドナルドが担当している。

ワイアット・アープ兄弟とクラントン一家のOK牧場の決闘がテーマだが、この映画ではドク・ホリディとその愛人チワワ、東部からホリディを追ってきた以前の恋人のクレメンタインの関係も重要だ。

映画は、ワイアット・アープ兄弟が牛を移送中、トゥームストンの近郊で夜営する、ことから始まる。末弟のジェームズを残しアープ兄弟は町へ行く。夜営地に戻ると、ジェームズは殺されおり、牛は盗まれていた。ワイアット・アープは犯人探索のため、トゥームストンのシェリフとなる。牛泥棒はクラントン一家だった。これがOK牧場の決闘の原因である。

とはいえ、犯人探索の場面はまったくなく、ワイアット・アープは椅子に座り、通りをノンビリと見ているだけ。なんのためにシェリフになったのか。話が繋がっていない。牛泥棒がクラントン一家の犯罪だと判明するのも偶然による。

この映画は史実とは異なっている。この映画ではドク・ホリディは死んでしまうが、実際は生き残り、サナトリウムで死ぬ。クラントンも生き残り、アープ兄弟と長い戦いが続く。史実に忠実な映画はジョン・スタージェスが監督した「墓石と決闘」である。史実を知りたければ、こちらを見るべきだ。ただ、面白い映画ではない。

この映画に関しては、プロデューサーのダリル・F・ザナックが重要な役割を果たしている。ジョン・フォードが粗編集したフィルムは、色々なエピソードが多く、しかも話の筋になるところがおろそかにされていた。

ザナックは、フィルムの一コマ一コマを丹念に見て、話の筋がスッキリ分るように編集し直したのだ。フォードが粗編集したフィルムから30分ほどが削除された。今のフィルムは97分だが、もとは127分ほどあったことになる。どういう場面が削除されたか知りたいところだが、それはかなわない。ただ、詩情溢れる場面とアクションシーンにはザナックは手をつけなかった。

ジョン・フォード伝を読むと、ドク・ホリディ役のヴィクター・マチュアは撮影中、ジョン・フォードから罵詈雑言を浴びせられ、精神的におかしくなったそうだ。おかげで?、ヴィクター・マチュアはこの映画で最良の演技を見せた。マトモに演技したら大根役者だ。

クラントン役のウォルター・ブレナンはフォードと相性が悪く、この映画以降、ジョン・フォードの作品には出演していない。

ジョン・フォードはハリウッドで駆け出しの頃、ワイアット・アープに会ったことがあるそうだ。ワイアット・アープが死んだのは1929年。OK牧場の決闘がおきたのは1881年10月26日である。




タグ:荒野の決闘
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2020年コロナ回顧 12月27日 成田不動 [雑感]

2020年12月27日、成田不動を参詣する。年末だったが、初詣のつもりだった。2021年の初詣は混雑を避けるため分散された。

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こうして2020年が終わった。コロナ禍の一年だったが、奇妙なことに死者は前年比で減少した。

理由は不明だが、医者に行かなくなったことが原因かと思う。医師にとっては不名誉なことであるから、この考えはタブーである。

翌2023年は、コロナ・ワクチン狂騒曲の一年だった。予約を取るのが大変で、私は6月17日に第一回目の接種を受けた。

今から思うと、コロナ・ワクチンが効果があったのかどうか、疑われる。ワクチン接種にもかかわらず、コロナ患者は一定の間隔を置いて増減を繰り返したからである。

コロナ・ワクチンの副作用の方が問題で、2021年以降、死亡者が急増した。コロナ・ワクチンとの関係については、厚労省もだんまりを決め込んでいる。

一連のコロナ騒動については、堤未果の「ショックドクトリン」が正しいように思える。
タグ:成田不動
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2020年コロナ回顧 11月29日 高山稲荷(津軽) [雑感]

2020年11月29日、赤い鳥居が立ち並ぶ高山稲荷を訪れる。

五所川原駅近くののホテルに宿泊し、翌朝、バスで行く予定だった。ところが、バスの切符売り場で、バスは運休していますと云われた。コロナの影響である。

仕方なく、タクシーで行くことにしたが、遠方であるから、タクシー代はバカにならない。

タクシーの運転手さんと話したが、「息子には来年のお正月には帰ってくるなと云ってあります。盆も帰ってこなかったし、いつ会えるかわかりません。」

高山稲荷到着。

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社殿。

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赤い鳥居が立ち並んでいるのはどこか? 運転手さんに案内して貰った。

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ここは庭園の中に赤い鳥居が並んでいるのだ。

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運転手さんが云うには、参拝者は昔ほどではない、ということだ。

そのうち外国人観光客が来るかもしれない。






タグ:高山稲荷
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2020年コロナ回顧 10月14日 吉野山 蔵王堂 [雑感]

2020年10月14日。吉野山を観光する。主目的は蔵王堂だった。

まず吉野神宮を参拝する。後醍醐天皇を祀る。

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明治時代になり、南朝方の諸々の人物を祀る神社が創建された。吉野神宮もその一つである。なぜこういうことが起きたのか、その時代に生きてみなければ分らないことである。廃仏毀釈にしても、今となっては理解不能である。

現代に起きていることでも、後世には理解不能なことが多々あることだろう。

吉野山へ行き、蔵王堂を参詣する。役行者が創建したという修験道のメッカである。


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2020年コロナ回顧 9月27日 陸前髙田 [雑感]

2020年の8月は外出しなかった。盆帰りする家族もほとんどなかった。新幹線も航空機もガラガラだったという。

9月下旬になり、やっと旅行する気になった。行き先は東日本大震災で壊滅した陸前髙田だった。復興工事が終わっていた。どうなったか知りたくなった。

陸前髙田には、震災前の2009年に行った。その後、大震災後から1年半後に様子を見に行ったが、工事現場にいるようなものだった。

9月26日に常磐線に乗って、仙台まで行った。途中の双葉駅、浪江駅の風景を見たかったからである。

双葉駅。汚染土壌を処理した土嚢が積んであった。

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人家があった。

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浪江駅。

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やはり、人家あり。

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ここに住むのは、やはり、恐い。若い人は特にそうだ。結局、町を離れる選択をする。阿武隈山地を越えたところに田村市があるが、その高台に団地が出来てしまった。不動産開発会社が目をつけて売り込んだものだろう。都路街道を走れば、双葉・浪江に行ける。

補償金で金満になった避難者が豪勢な買物をするものだから、地元の住民に妬まれる事態も起きた。この団地に目をつけた郡山市民病院の医者が退職し、ここで開業する者が多かった。今度は郡山市民病院が困る事態になった。

まぁ、色々なことが起きるものだ。

26日は、仙台から一ノ関まで行き、ここで宿泊。

翌日、気仙沼まで行き、ここでBRTに乗換え、陸前高田へ向う。

陸前高田駅。周辺は広場のようなもので、何が何だか分らない。

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タクシーで、町の全貌が分る場所に案内して貰った。

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人は戻らず。

防潮堤を見に行く。タクシーの運転手さんは、刑務所の塀です、と言っていた。

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これで津波から護れるのかという疑問はある。

陸前髙田のシンボル、奇跡の一本松まで行く。もっとも、もとの松は枯死してしまい、今あるのはオブジェである。

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水たまりに枯れた松の根がある。除去せず、震災の記念としているのだろうか。

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陸前高田駅に戻るが、近くに豪勢な建物があったので、見に行く。

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ま、ハコモノです。いつもの通り。















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2020年コロナ回顧 7月12日 寒川神社 [雑感]

7月12日。寒川神社参拝。相模國一之宮で、全国唯一の八方除け、方位除けの守護神として信仰されている。コロナは衰えず、苦しいときの神頼みの心境だった。

神社で御祈祷を受ける人は多いが、寒川神社の祈祷者が全国で最も多い。別の神社をお詣りしたときのことだが、その神社の宮司さんが、以前に寒川神社の神職だったと云うことで、そういう話をしていた。

寒川神社の参拝者は少なかった。どこもこんなもので、おっかなびっくりでお詣りしたものだ。

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屋台が出ていたのには驚いた。商売になったのだろうか。

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寒川神社に出かけたのは7月12日だったが、14日になると、コロナ感染者が激増した。恐くて外出できなくなった。7月16日には、政府の旅行キャンペーンから東京発着が除外される事態になった。

翌月のお盆も、盆帰りする人がほとんどいなかった。首都圏の人間はコロナ感染者のように忌避された。

私も出かけず、9月になって、やっと動き出した。










タグ:寒川神社
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2020年コロナ回顧 6月21日 豊川稲荷 [雑感]

6月1日に自粛は解除された。しかし、世間の風は慎重だった。6月1日に、正装姿の母子の姿を見た。入学式があった。

2020年は、大学生も大変で、入学試験も入学式も大騒ぎだった。新入生の先行きがどうなることか、と危惧されたが、4年後は空前の人手不足になり、就職も楽々。運命は分らない。もっとも生成AIの爆発的な発達を考えると、将来に不安を覚える人も多いだろう。


6月になり、外出は出来るようになったが、コロナの影響は大きく、すぐ出かける気にはならなかった。

やっと、6月21日に、豊川稲荷へお詣りに出かけた。苦しいときの神頼みという心境だった。参詣者は少なかった。

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豊川稲荷を参詣後、豊橋駅に戻り、渥美半島を走る豊橋鉄道に乗車、終点の駅三河田原でおりる。

三河田原駅におりて、駅前の風景にビックリした。デザイン化された瀟洒な駅前風景だった。

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黒川紀章が街並みをデザインした。市にそれだけの金があったのが不思議に思えたが、ここにはトヨタの工場があると知った。財政にゆとりがあったのだろう。

三河田原には、崋山神社があり、お詣りした。渡辺崋山を祀る神社である。

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豊橋駅に戻り、新幹線で新横浜駅に戻る。

新幹線は、まだガラガラ状態だった。

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2020年コロナ回顧 5月21日 御前崎 [雑感]

2020年4月は自粛期間中で動けず。これでは認知症になるのではないかと,付近を散策するのみ。

5月のゴールデンウィーク明けから、通勤はできるようになった。

5月21日。御前崎まで出かける。

新幹線で、静岡駅まで。静岡駅到着が8時15分。構内は閑散としていた。バス停も同じ。

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静岡駅からバスで相良営業所まで行く。相良営業所からはタクシーで御前崎へ行った。タクシーの運転手は、月収が7万円ぐらいしかなく、しかも住民税、社会保険料を引かれるから、借金生活だと云っていた。

御前埼灯台。

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昼時だったので、灯台近くのカフェで食べたが、横浜から来たというと、嫌われた。当時はコロナ感染者は都市部に多かったので、嫌われたのだ。東京人が差別されたというのはこの時のことである。

長居は無用で早々に店を出た。御前崎まで歩き、バスで相良営業所に戻る。

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16時前の新幹線で、新横浜に戻る。全然乗客がいなかった。1車両に2,3人といったところだ。

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外出して嫌われるのもイヤだ。外出するようになったのは、6月以降である。5月末で自粛期間が終わったからである。

6月1日に,入学式に行く母子の姿を見た。








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