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陸前髙田 奇跡の一本松ホール [旅行]

BRTに乗るべく陸前高田駅に戻る。

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時間に余裕があったので付近を散策する。

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ショッピング施設があった。「ツルハドラッグ」と「しまむら」の店名は見分けられた。

陸前髙田の買物は山の方にイオンスーパーがあるので、そちらで済ませるようである。

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大きな建物がある。市役所かと思い近づいた。

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じつはこれは市民ホールである。奇跡の一本松ホールという。今年の2月に定礎した。

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ホールの客席数は645席とある。総工費が分からない。こういうものは、やはり無駄なハコモノと云うべきだろう。



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道の駅 髙田松原 [旅行]

陸前髙田の街を一回りして道の駅に戻る。

瀟洒な建物である。

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日曜日で、人出が多かった。考えてみれば東北地方は感染者が少ない。今から思えば、別に自粛する必要もなかったぐらいだ。

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珈琲店で休んだ。

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2013年12月、道の駅はまだ残骸を曝していた。

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道の駅の前は復興工事の最中だった。

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段々と記憶も風化する。”語り継ぐ”というが、ほとんどのことは語り継げない。人間は、忘れるようにできている。忘れるから生きていける、とも云える。

現在進行中のコロナ禍もいずれ忘れ去られる。社会のあり方は変ってしまうだろうが。



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陸前髙田 奇跡の一本松 [旅行]

陸前髙田の名物は、奇跡の一本松である。道の駅から歩く。

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松の根っこが残っているね。

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水門の管理事務所の建物は被災したまま残っている。津波被害の生き証人である。

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ここは2013年の時と変らない。当時の写真。

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ただ2013年当時は復興工事の真っ最中だった。巨大な橋のような構築物に驚いた。盛り土のため山を切り開いたがその運搬用のコンベアだと説明を受けた。トラックで運ぶよりもコストがかからなかったそうだ。

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この切り開いた山は恰好の住宅地となり、住宅が建て並んでいた。最初に私が街を展望したのはその住宅地からだった。

ところで、奇跡の一本松だが、維持費用がかかるらしく、市の悩みの種になっているという。



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髙田の松原の思い出 2010年 [旅行]

髙田の松原を訪れたのは2010年7月7日だった。

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「先人の残した美林を後世に」。9ヶ月後には跡形もなくなった。

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砂浜から見る。

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防潮堤の上に登った。松林の間を通るこんなバカでかい防潮堤を造ったのが解せなかったが、甘かった。津波で跡形もなく破壊されてしまった。

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道の駅前。道の駅の写真は撮らなかった。向かいにあるガソリンスタンドで道の駅前と分かる。村上弘明の故郷であり、千昌夫のホテルがあった。

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写真では防潮堤の高さが分からない。富士市に防潮堤があったことを思い出した。髙田と同じ規格だろうと思って、翌年の正月に出かけた。

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これと同じものが津波で消失したのだ。














タグ:髙田松原

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陸前髙田 入江 [旅行]

防潮堤から髙田の入江を見る。港としては最適だが、津波が来るとそれが災いになった。津波は気仙川を10キロもさかのぼった。

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防潮堤の海側はコンクリで固められている。

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防潮堤の下に松が植林されていた。髙田の松原を再現しようというのだ。松林ができるのはいつのことだろう。もちろん、私はそれを見ることができない。

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陸前髙田 防潮堤 [旅行]

高台から陸前髙田を展望したあとタクシーで道の駅へ行く。ここから新しい防潮堤まで歩く。

橋のように見えるが、これが道の駅と震災資料館である。半分ずつになっている。

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防潮堤まで歩く。幾何模様に綺麗に整備されている。

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右に見える土手が防潮堤だが、高さがあるようには見えない。(実際は高い。)

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防潮堤の上から街を見る。真ん中の横長の建物が震災資料館(右半分)と道の駅(左半分)である。

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防潮堤の高さがわかりにくいが、北へ行くと、むき出しになった所がある。高さが分かる。タクシーの運転手さんは”刑務所の塀”と云っていた。

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東北旅行 (三度目の)陸前高田 [旅行]

気仙沼駅からBRTに乗車し、陸前高田駅で下りる。

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実は、陸前高田に来たのは3度目。

最初は2010年7月初旬に、旅行会社の三陸ツアーで来た。その時は、”髙田の松原”を観光した。松林を見終わってすぐに移動した。

その松原が2011年3月の大震災で消滅してしまった。その後の状況を知りたくて、2013年12月に陸前高田を訪れた。

その後の復興ぶりは気になっていたが、やっと、今回、2020年9月に訪れることができた。約7年ぶりだ。まだ工事中の所は残っているものの、復旧工事はおおよそ終了していた。

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草原の中に建物が一つ残っていた。

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街全体を見渡すために、タクシーで眺望のいい場所へ行った。

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写真では分かりにくいかもしれないが、3度目にして始めて陸前高田の全貌を知った。1度目は松原だけで、2度目は工事中だったから、街の全貌は分からなかった。

縄文海進が進んだときには、ここは海だったはず。その後海面が後退し、手前の気仙川が運んできた堆積物で平地ができ、人が住み始めた。

津波の怖さを知れば、この平地には居住できない。田畑と草地と店舗があるだけと云っていい。








タグ:陸前高田

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東北旅行 気仙沼 BRT [旅行]

BRTで気仙沼駅を出発する。

これがBRTのバス。

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車内。路線バスと変らない。

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昔の大船渡線の線路を道路化した上を走行した。

窓外に気仙沼周辺の光景を見る。このあたりは津波で流されてしまった地区である。

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最も上にある地区は建物が多い。郊外店もあり、日曜日ということもあり、賑わっていた。駅で云うと、気仙沼駅の次の鹿折唐桑駅の前である。津波はここまでは押し寄せなかった。

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7年前にここを通過した。2013年のことである。復旧工事の様子を見に行ったのだ。

復旧工事の真っ最中だった。

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鹿折唐桑駅の前。ここまでは津波が来なかったことが分かる。

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BRTだが、鹿折唐桑駅を過ぎると、一般道路に入ってしまった。専用道路を走行するのではないから、路線バスと変らない。この道路を走り、陸前高田駅まで行った。

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東北旅行 大船渡線で一ノ関駅~気仙沼駅 [旅行]

一ノ関で宿泊した翌朝、大船渡線で気仙沼駅に向う。かっては大船渡駅まで運行されていたが、東日本大震災で線路が損傷・流出し、気仙沼駅~盛駅の間は鉄道の復旧を諦め、BRTで運行されることになった。

BRTはバス高速輸送システムのことをいう。

従ってJRの電車による運行は一ノ関駅~気仙沼駅の間である。気仙沼駅~盛駅間はBRT、盛駅~久慈駅間は第三セクターの三陸鉄道である。久慈駅~八戸駅は再びJRの鉄道になる。今回の旅行ではすべてに乗車した。

一ノ関駅。

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大船渡線。

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一ノ関駅から気仙沼駅まで1時間26分。地図を見ると分かるが、猊鼻渓に向い、大迂回している路線である。気仙沼街道に沿って線路を敷設していたら1時間ほどで気仙沼に到達できたのではないか。昔の政治家が自分の地盤に線路を大迂回させたという。

気仙沼到着。鉄道マニアはどこでもいる。写真を撮りまくる。

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BRTの気仙沼駅。専用道路になっている。

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BRTの発車まで間があったので気仙沼駅の外に出る。

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駅前の通り。食事できるところがあるのかどうか。地方へ行くとこういう状態のところが多い。

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駅の休憩室。吉永小百合のポスターが大きい。吉永小百合も後期高齢者になったはず。そろそろ容貌が変ってもおかしくない。

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東北旅行 一ノ関 GoToトラベル割引 [旅行]

東北新幹線で仙台駅から一ノ関駅へ移動する。以前なら指定席を利用したが、コロナ禍の状況では指定席を買うまでもない。自由席が埋まることは考えられない。2割程度は埋まっていた。車両に一人、または全然いないという自粛時の状況からは改善した。(2020年9月26日土曜日の状況である。)

一ノ関駅で下りる。翌日大船渡線に乗車する予定だったので一ノ関で宿泊した。

一ノ関の新幹線駅。

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普通電車のホームを歩いて駅外に出る。

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駅前。一ノ関ホルモン焼きの看板が目立つ。一ノ関というと、中尊寺観光の拠点である。ホルモン焼きは似合わないといつも感じる。

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ホテルは東横イン。”Go To トラベル”割引の適用が可能だが、クレジットでは全額落ちていた。

フロントで、身分証明書を提示する。9月だったので東京は除外されていた。東京人ではないことを確認したのだ。結局、割引額2000円+αは現金で戻ってきた。宿泊料は3300円程度になった。現金を貰うと、得した気分になる。夕食で全部使ってしまった。

翌朝のこと、東横インは朝食付きで、普段は簡単なバイキングだが、コロナの状況ではバイキングは無理である。幕の内弁当のようなものだった。部屋に持っていく人が多かった。

朝の一ノ関。

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タグ:一ノ関

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