東北旅行 志波中央 ニュータウン [旅行]
志波中央駅でおりたのは、志賀理和気神社を参拝するためだった。志賀理和気神社は延喜式内社としては最北の神社だった。つまり、900年初期の京都朝廷の勢力はこのあたりが北限だったことを示す。
志賀理和気神社の社殿。防災上の理由だったと思うが、新しい社殿を別の場所に建設中だった。この社殿を見られるのも来年あたりまでだろう。
志波中央駅に戻る。電車を待つ時間があったので駅前を歩く。
駅前は開発されてニュータウンになっている。東北らしからぬ?街並みだ。住宅団地になっている。
芝生の散策路があり、両側が店などが入っている。
オーガル・ベースという。町長が開発を推進したという。
一画が志波町役場になっている。 ↓
どういうリーダーを持つかによって町の形が変る。
以前、北海道の西興部村へいったとき、同じような驚きを覚えた。西興部村の場合も村長の強い意志があった。地方創生というが、首長次第なんだね。
これで東北旅行を終えた。4日間の旅はきつい。2泊3日が限度だ。旅行に出るとしたら、1泊2日が一番ふさわしいようである。
志賀理和気神社の社殿。防災上の理由だったと思うが、新しい社殿を別の場所に建設中だった。この社殿を見られるのも来年あたりまでだろう。
志波中央駅に戻る。電車を待つ時間があったので駅前を歩く。
駅前は開発されてニュータウンになっている。東北らしからぬ?街並みだ。住宅団地になっている。
芝生の散策路があり、両側が店などが入っている。
オーガル・ベースという。町長が開発を推進したという。
一画が志波町役場になっている。 ↓
どういうリーダーを持つかによって町の形が変る。
以前、北海道の西興部村へいったとき、同じような驚きを覚えた。西興部村の場合も村長の強い意志があった。地方創生というが、首長次第なんだね。
これで東北旅行を終えた。4日間の旅はきつい。2泊3日が限度だ。旅行に出るとしたら、1泊2日が一番ふさわしいようである。
東北旅行 志波中央駅 東北のニュータウン [旅行]
東北旅行4日目。疲労感が増す。やはり、体力的に4日間の旅行は無理かと感じる。早々に切り上げて帰宅することにした。
帰宅前に東北本線の志波中央駅でおりた。これがモダンだった。
地方の駅というと、寂れぶりを見に行くようなものだが、ここは違った。
帰宅前に東北本線の志波中央駅でおりた。これがモダンだった。
地方の駅というと、寂れぶりを見に行くようなものだが、ここは違った。
タグ:志波中央駅
東北旅行 久慈駅 [旅行]
三陸鉄道の旅は終点の久慈駅で終わる。
足慣らしで駅近くの巽山公園まで歩く。
久慈の街並みを見る。
公園から見ると、街区を形成しているが、街は寂れている。地方の街はこんなものという気がする。
久慈駅周辺には食事場所がない。コンビニもなかった。駅ナカの立食いそば屋しかなかった。地方へ行けば食事の困ることが多いので、小腹を満たす何かを用意しておくが、今回は大丈夫だろうと油断していた。地方路線に乗るときは、カロリーメイトとか柿の種とか、空腹を満たす何かを持参すべきだ。
宮古駅。ここから八戸線に乗るが、2時間以上待った。
2両編成の便だったが、社内は満席だった。四人がけの座席に四人がすわったわけだ。やはり、コロナ禍の状況では怖さを感じた。
足慣らしで駅近くの巽山公園まで歩く。
久慈の街並みを見る。
公園から見ると、街区を形成しているが、街は寂れている。地方の街はこんなものという気がする。
久慈駅周辺には食事場所がない。コンビニもなかった。駅ナカの立食いそば屋しかなかった。地方へ行けば食事の困ることが多いので、小腹を満たす何かを用意しておくが、今回は大丈夫だろうと油断していた。地方路線に乗るときは、カロリーメイトとか柿の種とか、空腹を満たす何かを持参すべきだ。
宮古駅。ここから八戸線に乗るが、2時間以上待った。
2両編成の便だったが、社内は満席だった。四人がけの座席に四人がすわったわけだ。やはり、コロナ禍の状況では怖さを感じた。
タグ:久慈駅 巽山公園
三陸鉄道 堀内駅 [旅行]
三陸鉄道で宮古駅から久慈駅に向う。
途中の佐羽根駅。山の中の駅だった。熊の置物があるが、「熊出没注意」とある。こういう駅で下りるには勇気が要る。
普代駅。
堀内駅。ここで休憩時間があった。眺めがいいからだろう。乗客は皆おりて息抜きした。
西側。三陸自動車道を建設中である。
途中の佐羽根駅。山の中の駅だった。熊の置物があるが、「熊出没注意」とある。こういう駅で下りるには勇気が要る。
普代駅。
堀内駅。ここで休憩時間があった。眺めがいいからだろう。乗客は皆おりて息抜きした。
西側。三陸自動車道を建設中である。
タグ:堀内駅
東北旅行 宮古駅 [旅行]
三陸鉄道の旅、宮古駅に到着。ここからJRに乗換えて盛岡駅まで行くことも考えたが、終点の久慈駅まで乗る。宮古駅では12分の待ち時間が合った。駅の外に出る。
駅前は街区を形成している。街中を歩く時間がなかったのが残念だ。
ホームに戻る。
西口駅前は市役所である。
その隣がパチンコ店である。大きい。
パチンコはギャンブルですからね。これだけパチンコ店があちこちにあって、カジノは反対というのは訳が分からん。私の地元の横浜ではカジノ反対の署名を集めているが、パチンコ店にも反対したら、といったら、ポカンとした顔になった。
駅前は街区を形成している。街中を歩く時間がなかったのが残念だ。
ホームに戻る。
西口駅前は市役所である。
その隣がパチンコ店である。大きい。
パチンコはギャンブルですからね。これだけパチンコ店があちこちにあって、カジノは反対というのは訳が分からん。私の地元の横浜ではカジノ反対の署名を集めているが、パチンコ店にも反対したら、といったら、ポカンとした顔になった。
東北旅行 三陸鉄道 [旅行]
釜石駅から再び三陸鉄道に乗車し、久慈駅に向う。9時2分発だった。三陸鉄道は、一日12本を運行している。社内は20人ぐらい乗客がいた。
釜石駅から二つ先の鵜住居駅。釜石の郊外だ。
新しい住宅が建ち並んでいる。新しい家が多いのは、震災で損壊して新しく建て直したか、津波の被害を受けた住民が郊外に引っ越して来たか、どちらかだろう。地震に強い軽量鉄骨造になるのは当然だ。
4つ目の駅が吉里吉里駅。井上ひさしの小説にこの名前があったね。
岩手船越の風景。リアス式海岸で美しいが、津波にはアダになる。
釜石駅から二つ先の鵜住居駅。釜石の郊外だ。
新しい住宅が建ち並んでいる。新しい家が多いのは、震災で損壊して新しく建て直したか、津波の被害を受けた住民が郊外に引っ越して来たか、どちらかだろう。地震に強い軽量鉄骨造になるのは当然だ。
4つ目の駅が吉里吉里駅。井上ひさしの小説にこの名前があったね。
岩手船越の風景。リアス式海岸で美しいが、津波にはアダになる。
東北旅行 釜石港 [雑感]
釜石のホテルに宿泊。翌日早朝、タクシーで釜石港へ行く。
釜石港も東日本大震災で津波の被害を受けた。港周辺の民家は流出してしまった。
釜石大観音が見えた。
釜石港も三陸の他の港と同じく、防潮堤で囲まれている。陸前髙田と比べると高さがない。
釜石港も東日本大震災で津波の被害を受けた。港周辺の民家は流出してしまった。
釜石大観音が見えた。
釜石港も三陸の他の港と同じく、防潮堤で囲まれている。陸前髙田と比べると高さがない。
タグ:釜石港
東北旅行 釜石 [旅行]
釜石というと、(新)日鉄釜石を思い出すね。
駅前は日鉄のバカでかい釜石工場である。コロナ禍でも稼働していた。
日鉄釜石工場で何人の人が働いているのか。
タクシーの運転者の云ったところでは、最盛期は10万人働いていたそうだ。それが今では…。本社の人間は数百人だという。数字の落差に驚く。あとは関連会社や下請けらしい。
JR釜石駅。釜石線がある。釜石駅と花巻駅を結ぶ。駅舎はかなりのもの。
三陸鉄道の釜石駅。簡素なもの。スポンサーがイオンである。駅から歩いて10分ぐらい。駅周辺に食事場所がなかったのでイオンまで食べに行った。
三陸の駅を管理しているのはパートの人のようだった。
駅前は日鉄のバカでかい釜石工場である。コロナ禍でも稼働していた。
日鉄釜石工場で何人の人が働いているのか。
タクシーの運転者の云ったところでは、最盛期は10万人働いていたそうだ。それが今では…。本社の人間は数百人だという。数字の落差に驚く。あとは関連会社や下請けらしい。
JR釜石駅。釜石線がある。釜石駅と花巻駅を結ぶ。駅舎はかなりのもの。
三陸鉄道の釜石駅。簡素なもの。スポンサーがイオンである。駅から歩いて10分ぐらい。駅周辺に食事場所がなかったのでイオンまで食べに行った。
三陸の駅を管理しているのはパートの人のようだった。
タグ:釜石駅
東北旅行 盛駅~釜石駅 [旅行]
盛駅から三陸鉄道に乗換える。
三陸鉄道は三セクの路線である。
テーブル付きの向かい合わせの座席だが、コロナ禍の最中ではかえって嫌われるね。どこの新幹線でも、座席の向きを変えて向かい合わせにするのは遠慮してくれと注意しているぐらいだ。
1964年の復刻時刻表を見ると、盛駅~釜石駅間は鉄道路線がなかった。その後に建設されたのだ。
窓からの風景。家はプレハブの新しいものがほとんどだ。プレハブの家屋は耐震性に優れている。ちなみに東日本大震災の時、プレハブの家に住んでいたが、揺れは激しくなかった。本棚や家具が倒れることはなかった。
三陸のリアス式海岸の景色。
入江という入江には防潮堤が築かれていた。
釜石駅に到着。
三陸鉄道は三セクの路線である。
テーブル付きの向かい合わせの座席だが、コロナ禍の最中ではかえって嫌われるね。どこの新幹線でも、座席の向きを変えて向かい合わせにするのは遠慮してくれと注意しているぐらいだ。
1964年の復刻時刻表を見ると、盛駅~釜石駅間は鉄道路線がなかった。その後に建設されたのだ。
窓からの風景。家はプレハブの新しいものがほとんどだ。プレハブの家屋は耐震性に優れている。ちなみに東日本大震災の時、プレハブの家に住んでいたが、揺れは激しくなかった。本棚や家具が倒れることはなかった。
三陸のリアス式海岸の景色。
入江という入江には防潮堤が築かれていた。
釜石駅に到着。
タグ:三陸鉄道
東北旅行 盛駅 [旅行]
陸前髙田を散策したあと、再びBRTに乗車し、BRT大船渡線の終着駅である盛駅に向う。
陸前高田駅を発車して暫くは一般道路を走行したが、途中からBRT専用道路を走った。
大船渡駅に到着。昔は鉄道の駅だったことが窺える。
大船渡も津波の被害を受けたはずだ。港の周辺には壁(防潮堤)が設けられていた。ハッキリとは分からないが、翌日、釜石港で同じような壁を確認できた。
盛駅到着。BRT専用のホーム。盛駅から先は三陸鉄道に乗換える。
三陸鉄道に乗換える間、少々待った。
駅前の様子を見る。
地方の街はこんなもの、という印象しか残らない。もっとも例外もあり、翌日ビックリするような街を見た。
BRTつまりJRの駅。
隣接して三陸鉄道の駅がある。こちらの方が広かったからである。
休憩したのは、JRの待合室で。
陸前高田駅を発車して暫くは一般道路を走行したが、途中からBRT専用道路を走った。
大船渡駅に到着。昔は鉄道の駅だったことが窺える。
大船渡も津波の被害を受けたはずだ。港の周辺には壁(防潮堤)が設けられていた。ハッキリとは分からないが、翌日、釜石港で同じような壁を確認できた。
盛駅到着。BRT専用のホーム。盛駅から先は三陸鉄道に乗換える。
三陸鉄道に乗換える間、少々待った。
駅前の様子を見る。
地方の街はこんなもの、という印象しか残らない。もっとも例外もあり、翌日ビックリするような街を見た。
BRTつまりJRの駅。
隣接して三陸鉄道の駅がある。こちらの方が広かったからである。
休憩したのは、JRの待合室で。
タグ:盛駅