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道の駅 髙田松原 [旅行]

陸前髙田の街を一回りして道の駅に戻る。

瀟洒な建物である。

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日曜日で、人出が多かった。考えてみれば東北地方は感染者が少ない。今から思えば、別に自粛する必要もなかったぐらいだ。

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珈琲店で休んだ。

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2013年12月、道の駅はまだ残骸を曝していた。

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道の駅の前は復興工事の最中だった。

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段々と記憶も風化する。”語り継ぐ”というが、ほとんどのことは語り継げない。人間は、忘れるようにできている。忘れるから生きていける、とも云える。

現在進行中のコロナ禍もいずれ忘れ去られる。社会のあり方は変ってしまうだろうが。



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陸前髙田 奇跡の一本松 [旅行]

陸前髙田の名物は、奇跡の一本松である。道の駅から歩く。

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松の根っこが残っているね。

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水門の管理事務所の建物は被災したまま残っている。津波被害の生き証人である。

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ここは2013年の時と変らない。当時の写真。

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ただ2013年当時は復興工事の真っ最中だった。巨大な橋のような構築物に驚いた。盛り土のため山を切り開いたがその運搬用のコンベアだと説明を受けた。トラックで運ぶよりもコストがかからなかったそうだ。

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この切り開いた山は恰好の住宅地となり、住宅が建て並んでいた。最初に私が街を展望したのはその住宅地からだった。

ところで、奇跡の一本松だが、維持費用がかかるらしく、市の悩みの種になっているという。



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髙田の松原の思い出 2010年 [旅行]

髙田の松原を訪れたのは2010年7月7日だった。

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「先人の残した美林を後世に」。9ヶ月後には跡形もなくなった。

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砂浜から見る。

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防潮堤の上に登った。松林の間を通るこんなバカでかい防潮堤を造ったのが解せなかったが、甘かった。津波で跡形もなく破壊されてしまった。

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道の駅前。道の駅の写真は撮らなかった。向かいにあるガソリンスタンドで道の駅前と分かる。村上弘明の故郷であり、千昌夫のホテルがあった。

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写真では防潮堤の高さが分からない。富士市に防潮堤があったことを思い出した。髙田と同じ規格だろうと思って、翌年の正月に出かけた。

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これと同じものが津波で消失したのだ。














タグ:髙田松原

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陸前髙田 入江 [旅行]

防潮堤から髙田の入江を見る。港としては最適だが、津波が来るとそれが災いになった。津波は気仙川を10キロもさかのぼった。

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防潮堤の海側はコンクリで固められている。

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防潮堤の下に松が植林されていた。髙田の松原を再現しようというのだ。松林ができるのはいつのことだろう。もちろん、私はそれを見ることができない。

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陸前髙田 防潮堤 [旅行]

高台から陸前髙田を展望したあとタクシーで道の駅へ行く。ここから新しい防潮堤まで歩く。

橋のように見えるが、これが道の駅と震災資料館である。半分ずつになっている。

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防潮堤まで歩く。幾何模様に綺麗に整備されている。

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右に見える土手が防潮堤だが、高さがあるようには見えない。(実際は高い。)

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防潮堤の上から街を見る。真ん中の横長の建物が震災資料館(右半分)と道の駅(左半分)である。

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防潮堤の高さがわかりにくいが、北へ行くと、むき出しになった所がある。高さが分かる。タクシーの運転手さんは”刑務所の塀”と云っていた。

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