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常磐線 双葉駅 浪江駅 [旅行]

常磐線でいわき駅から原ノ町駅に向う途中、双葉駅、浪江駅を通過した。現在でもほとんどが「帰宅困難地域」である。

双葉駅前。土嚢が見えた。駅前は整地中というのか、汚染土壌を取り除いているのか、重機が見えた。

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土嚢が横に並べてある。汚染土の土嚢のように思えるが、駅前に並べるものだろうか?

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双葉駅の次が浪江駅である。

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人家まばら、草ぼうぼうの所も多かった。

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浪江町の現在の居住者は1100人という。






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旅に出よう いわき Jヴィレッジ [旅行]

品川発9時45分のひたち7号でいわきに向う。いわき駅着12時7分。

普通電車の仙台行きに乗換え。

左、特急。右、普通。


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途中、Jヴィレッジなる駅に到着。

常磐線らしからぬ?駅名である。

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原発マネーでつくったトレーニング場があるらしい。

帰宅して、来年の東京五輪の聖火リレーはここからスタートすることを知る。やはり、政府はフクシマにこだわっているように感じる。

オリンピックが開かれるかどうか、分からないが。




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旅に出よう 品川駅から特急に乗車 [旅行]

武蔵小杉から横須賀線に乗り、品川駅でおりる。品川駅発の特急ひたちで、いわき駅まで乗るからである。

品川駅も高層オフィスビルの建ち並ぶ街になった。高層ビルは、若いときはスゴイと思ったものだが、恒例になると、否定的になる。要するに、建物と人間様を比較してしまう。建物が多きなれば人間は小さく見えるようになる。高層ビルに入る社員の姿を見ると、蟻の行列に思えてしまう。

それに、東京ばっかり再開発してどうするというのか。東京は肥大化しすぎた。地方創生と云うが、東京で地方創生というのは滑稽だ。矛盾する。東京の肥大化はいずれ自己崩壊する。バブルと同じで、いずれ破綻する。その時に地方に受け皿があればいいが。

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品川駅の隣に高輪ゲートウエイ駅ができ、ビルの集積化がより進むことになる。行く末が恐ろしい。

いわき駅行きの特急ひたち号に乗車。

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東北は、太平洋側を北上する旅の始まりだ。




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武蔵小杉駅今昔 [雑感]

武蔵小杉駅は、いつできたのか?

1926年に東横線が開通したときは、新丸子駅の次は元住吉駅だった。

1927年に南武線が開通。この時に現在の武蔵小杉駅の位置に「グラウンド前」停留場がつくられた。また、府中街道沿いに「武蔵小杉駅」ができた。だから、昔の武蔵小杉駅は今で云えば中原区役所あたりにできたのだ。ここは小杉町であるので、武蔵小杉駅としたのだ。

「グラウンド前」停留場は、ここに横浜正金銀行のグラウンドがあったから名付けられた。横浜正金銀行のグラウンドは、その後、東京銀行のグラウンドになり、バブル崩壊まで存続した。当時は東京銀行の社員やOBが優雅にテニスを楽しんでいたものだ。

1939年に東横線に工業都市駅が開業した。府中街道沿いである。今のグランツリーがあるあたり。なぜなら、府中街道沿いに多数の工場が建設されたからだ。戦前の軍需景気のおかげである。

1944年、戦時中だね。南武線のグラウンド前停留場を武蔵小杉駅とし、以前の武蔵小杉駅は廃止した。

1945年、乗り換え専用に東横線の武蔵小杉駅ができた。通勤客専用で一般客は利用できなかった。南武線の真上に東横線の武蔵小杉駅ができたのだ。

1947年に一般客も利用できるようになった。私が覚えているのは、この時からだ。まだ幼児の頃だ。東横線から南武線に乗換えるために急な階段を上り下りした。小さな子供には恐かった。

問題は、武蔵小杉駅と工業都市駅が近かったことだ。目と鼻の先に駅が二つあったのだ。そこで中間に東横線の武蔵小杉駅を移動させ、工業都市駅を廃止した。新しい武蔵小杉駅ができた当時、長いホームに呆れたものだった。今では当たり前の長さだが、当時は3両編成だったからね。

こうやって、武蔵小杉駅はできたが、昔の名残がある。それは新丸子駅と近いことだ。徒歩で5分程度の距離しかない。いまさら新丸子駅を廃止するわけにもいかない。駅前に商店街ができていたから、店の死活問題である。

現在の武蔵小杉駅周辺は高層ビルが建ち並ぶ高級住宅地のイメージだが、昔は工場が並ぶ労働者の街だった。風紀は悪かったらしい。子供は行っては行けない場所で、親に注意されたものだ。

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