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そうだ、旅に出よう 旅の始まりは武蔵小杉 [旅行]

そうだ、旅に出よう。別にGoなんとやらがあるからではない。閉じこもっていてもしょうがない。

コロナと長い梅雨と猛暑にやられ、身体はガタガタだ。身体がガタガタになれば、心もおかしくなるね。気弱になる。

三陸方面の旅行に出かけたが、旅行に出るまでが大変で、気迷い気分がぬけない。行くのをよそうか、出かけようかと迷いに迷う。

ともかく、三陸から無事に帰ってきた。どういう旅行記なるのやら、自分でも心配している。

旅の始まりは、武蔵小杉から。横須賀線の武蔵小杉駅である。

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狭いホームで通勤ラッシュ時はハンパではない状況になっていたらしい。コロナで少しはマシになったかもしれない。

東横線の武蔵小杉駅からここへ来るのは一苦労だ。南武線のホームを通らなければならない。ラッシュ時はぶつかったりして揉める。不便なのは最初の内だけで、やがて改良されるかと思ったが、いまだに不自由なままだ。

武蔵小杉駅周辺は変った。また新しい高層マンションが建てられている。去年の台風被害とコロナでマンションの価値は下落しているというが、一時的なものだと思う。

横須賀線の武蔵小杉駅前を新幹線が通過した。ここは東海道新幹線でもっとも大きなカーブである。

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新幹線があるおかげでホームの拡張工事もままならない。反対側はNECの工場である。NEC側に新しいホームを作るという話だ。

私の武蔵小杉のイメージは悪い。子供時分、お隣の新丸子に住んでいた。その頃の武蔵小杉は工場労働者の駅だった。周辺は工場だらけだった。もちろん、色街もあったから、子供は行けなかった。

いつぞや、武蔵小杉駅前に事務所を持つ司法書士から名刺をもらったことがある。住所地が「新丸子東」だったのでハテナと思った。地図で調べると分かるが、武蔵小杉駅の東口は「新丸子東」である。

こういう町名が付いた経緯は昔のことを知らないと分からない。土地の古老にきいてもチンプンカンプンな答えが返ってくる。

今の武蔵小杉からは想像できないが、そもそも東横線が開通した当時は武蔵小杉駅は存在しなかった。

多摩川を超えたところに新丸子駅があり、次は元住吉駅だった。武蔵小杉駅を頭の中で消去して地図を見れば、新丸子東が武蔵小杉周辺まで延びていてもおかしくないと気付くはずだ。




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