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「浮草物語」(小津安二郎) [映画]

小津安二郎監督作品。1934年製作。アメリカはとっくにトーキーに切り替わっていたが、小津安二郎はサイレント映画にこだわった。日本最初のトーキー映画は1931年の「マダムと女房」である。

小津安二郎は、「浮草物語」を戦後にカラー映画で再映画化している。

ドサ回りの芝居一座の話なのだから、戦前版の方が雰囲気が良く出ている。戦前、ドサ回りの旅役者は河原乞食と蔑まれ、堅気の世界とは区別されていた。まともな人間は役者などにはならなかった。女役者は、枕営業が当たり前の世界だった。戦前の検閲は厳しかったから、ハッキリとは描いていないが。

坂本武の一座の座長は、旅先で知り合った女に生ませた息子がいるが、堅気にさせたいばかりに、父親と名乗ることができない。その苦渋から旅芸人の悲哀が浮かび上がる。

小津安二郎は、何か、淡々と映画を作り上げているように見えるが、この映画の盛り上げ方は並々ならぬものがある。クライマックスの作り方のうまさは注目に値する。
タグ:浮草物語

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映画「女相続人」 [映画]

10年ぐらい前まで、映画らしい映画というと、ウィリアム・ワイラーの作品を思い浮かべたものだ。チャカチャカしたCG映画は馴染めない。骨太演出のワイラー作品が一番だ。

ワイラーの作品では、俳優の演技の素晴らしさも堪能できる。表情とか仕草が誤解のないように演出されていた。画面の構図も明瞭である。

ワイラーの場合、左右、前後の構図ばかりではなく、上下の構図も重要である。ワイラーぐらい、階段をうまみに使う監督はいない。アメリカの家屋の場合、玄関から入ると、吹き抜けの広間になり、そこに階段がある。玄関から入ってきた人間を階段の上から迎えるという構図をとりやすい。

この映画では、上下の構図は余り使用されていないが、ラストは、ランプを持って階段を上がってくる女主人公のオリヴィア・デ・ハヴィランドを映す。

登場人物の関係と心理を構図で誤りなく描き出すのがウィリアム・ワイラーである。従って、観客に誤解のないように理解させるためには、各シークエンスのテンポは通常よりも遅くなる。この映画は2時間かかるが、他の監督ならば、15分ほど短くなっていただろう。

オリヴィア・デ・ハヴィランドは資産家の娘。しかし、父親に愛されていない。いわば抑圧された状態である。父が娘を憎むのは、最愛の妻が娘を産んで死んでしまったからである。愛する妻を失った原因となった娘を憎んでいる。娘は内向的にならざるをえない。

オリヴィア・デ・ハヴィランドはお姫様スターだったが、メイクを変えて魅力のない顔に化けている。話し方もおどおどして落ち着かない。こういう娘だから、男が近寄らない。

そういう娘に言い寄るのがモンゴメリー・クリフトである。ただ、観客には、この男が財産目当てなのか、本当に愛しているのかが、分からない。演じるのがモンゴメリー・クリフトだから、誠実そうに見えてしまう。

結局、駆け落ちしようということになるが、しかし、そうなると、相続権を失うことを知り、モンゴメリー・クリフトは迎えに来ない。

このことにより、娘は現実に目覚め、抑圧から解放される。喋る口調も変る。「自立」の第1歩を踏み出すのだ。父親に「お父さんは私を憎んでいる」と言い放ち、病んでいる父親を動揺させる。臨終にも立ち会わない。

全財産を相続した娘に、モンゴメリー・クリフトは再び言い寄るのだが、約束した時間に、娘は玄関の扉に錠をかけて入らせない。玄関の天窓越しにランプの光を遠ざかるのを見て、男は棄てられたことを知るのだ。
タグ:女相続人
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映画「哀愁」 [映画]

懐かしのメロドラマである。メロドラマの古典である。1940年製作。監督はマーヴィン・ルロイ。主演は、ロバート・テイラーとヴィヴィアン・リー。1940年というと、第2次世界大戦は始まっていたが、アメリカはまだ参戦していなかった。

名門貴族の軍人と薄幸のバレリーナの恋を描く。

この映画でもっとも有名なシーンは、「蛍の光」にのって若い二人が踊り、一つ一つロウソクが消されていくところである。セリフなしで、ググッと情感が盛り上がる。

セリフなしになったのは、マーヴィン・ルロイの奥さんの助言による。監督やプロデューサーや脚本家が、ここで二人にどういうセリフを言わせようかと悩んでいたら、「言葉なんか要らないでしょ」と云ったとか。これで屈指の名場面ができあがった。

こういうメロドラマは、今では古いかな。…しかし、今回のコロナウィルス禍で人の心も感性も変っていくかもしれない。

メロドラマで何度も見たい映画もあるが、この「哀愁」に関しては、見たくない部類に入る。なんというのか、ヴィヴィアン・リーの演技が重すぎるからだ。このヒロインの年齢は18歳ぐらいだろう。純情可憐というイメージがふさわしいと思うが、ヴィヴィアン・リーの演技は成熟した女性を感じさせる。ふさわしくない。

モノクロの画面は素晴らしい。俳優の撮り方の気品といい、省略の仕方といい、奥ゆかしさがある。現代は「真実」の時代である。真実を追究することにより失われたものがある。

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「荒くれ男」(レスリー・セランダー) [映画]

「荒くれ男」

1949年の作品。西部劇。

主演は、ロッド・キャメロン、ゲイル・ストーム。監督、レスリー・セランダー。

西部劇パーフェクトコレクションが毎月発売されているが、段々とB級、C級作品が多くなった。でも、こういう映画の方が懐かしい。

ロッド・キャメロン主演の西部劇を再び見ることができるとは思わなかった。イモ男、イモ俳優で、苦虫を噛みつぶしたような顔が忘れられない。

ロッド・キャメロンが主演する西部劇は、実はつまらなかった。退屈しましたよ。つまらなかっただけ、また見たくなるというのも妙な心理である。

お相手のゲイル・ストームは知らない女優だが、実に愛くるしい顔をしている。1950年代には歌手として活躍し、テレビで大人気だったそうである。なんで知らなかったんだろう?

この映画は、ロッド・キャメロン主演の西部劇だから、やはりつまらない

話の筋がのみ込みにくい。

東部から入植者が来る。購入した土地は乾ききっていて、水が必要である。水はあるが、この地を支配する牧場主が牛用に独占し、入植者には利用させない。

西部劇によくある、牧場主対農民の対立である。これだけなら話は簡単だが、これに土地開発会社が絡んでややこしくなり、筋がこんがらかってくる。

子供の私にはこの映画、理解できたんだろうか?
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映画「赤い空」 [映画]

”蒼井そら”は歓迎だが、「赤い空」は避けたい。

1952年の作品で、主演は、リチャード・ウィドマーク、ジェフ・ハンター、リチャード・ブーン。監督は、ジョセフ・M・ニューマン。

西部劇パーフェクトコレクションの一枚。疑問は、なぜ、これを西部劇に分類したのかということである。

現代のモンタナの山林地帯が舞台。森林消防隊の話である。西部劇とは関係ないだろうに。

落下傘で降下した消防隊が、隊長一人を残して死ぬ。隊長は当時の現場の様子を思い出せない。真相はいかに?

1950年ごろにはやったニューロティックな映画のように思える。

死亡した隊員の息子が、隊長が見捨てたからと誤解して、真相を究明しようとする。

クライマックスの山火事は迫力十分。その消火作業中に、隊長と息子が殴り合いをするのだから呆れる。消火活動の方が先だろうに。

ラストは丸く収めている。和解のしるしが「煙草をくれないか」である。煙草のやり取りが人間関係で重要な時代だった。

今や、こんな場面は望むべくもない。時代は変わった。昨日の善は今日は悪になる。

ま、この映画を見ると、森林消防隊員にはなりたくない……。


タグ:赤い空
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DVD「ヴァジニアの血闘」 [映画]

1940年製作の西部劇。

監督は、マイケル・カーティス。主演、エロール・フリン、ランドルフ・スコット、ハンフリー・ボガート、ミリアム・ホプキンス。

スタッフは一流が揃っている。題名からはヴァジニア州が関係していると錯覚するが、西部の話で、実話に基づくという。

南北戦争末期、軍資金に欠乏した南部に、西部から金塊500万ドルを運ぼうというストーリーである。

金塊輸送を担当する南軍の将校がランドルフ・スコット、それを阻止しようとする北軍の将校がエロール・フリン。二人の間で気持ちが揺れるのがミリアム・ホプキンス。ハンフリー・ボガートは金塊を強奪しようとする一味の親分。

マイケル・カーティスの演出は心得たもので、安心して見ていられる。

今は撮影技術も進歩しているが、昔の映画に及ばない点がある。それはエキストラだ。ともかくエキストラの人数がすごい。しかもきちんとそれなりの形で動く。ベテランのエキストラが多かったようだ。

ラスト、軍令違反で、エロール・フリンは死刑を宣告される。死刑執行の前日、ミリアム・ホプキンスは助命嘆願のため、リンカーン大統領に会う。リンカーン大統領の恩赦でエロール・フリンは助かる。

1965年4月8日だ。リンカーンが暗殺されたのはいつだったかと疑問に思った。リンカーン大統領が暗殺されたのは4月15日、1週間後である。


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「アリゾナの決闘」 [映画]

1948年作品。監督、H・ブルース・ハンバーストン。主演、ヴィクター・マチュア、グレン・ランガン。

偽装命令に騙され不名誉な死を遂げた父の汚名をそそぐべく、息子兄弟が真相を追及する。

ヴィクター・マチュアが兄で、いわば放蕩息子。グレン・ランガンが弟で、コチコチの軍人。当然のことながら、二人の相性が悪く、ことごとに対立する。

肉親の相克は西部劇の重要なテーマだ。アメリカの家族関係はどうなっていると思う。

この映画では危機に陥り、二人は共同する。

中にはとことん憎みあって終わる映画もある。「ウィンチェスター銃’73」が典型である。最後は壮烈な銃撃戦で終わる。西部劇の代表作に数えられる。


この映画の評価。標準的な西部劇。昔を懐かしんで鑑賞しよう。
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「草原の追跡」 [映画]

西部劇パーフェクトコレクションの一枚。

1952年製作。監督は、ジャック・ターナー。主演、ロリー・カルホーン、ジーン・ティアニー。

これが西部劇といえるのかどうか。舞台はアルゼンチン。現地ロケで、アルゼンチンの大草原やアンデス山脈が珍しい。

主人公はカウボーイではなく、ガウチョである。自由に生きるガウチョが時代の波に翻弄されるのがテーマである。

しかし、共感を呼ばない。勝手が違う。違和感を覚えたままで終わる。

追っ手を逃れ、アルゼンチンからチリへ脱出しようとする。ところが、身重のジーン・ティアニーは生まれてくる子供に神父から名前をもらわなくてはいけないという。

これでアルゼンチンに戻る。どうやらアルゼンチンでは、子供が生まれたら神父から名前をもらい、名前をもらって初めて人の子として認められるらしい。そう考えたが、これは日本人からは想像もつかない慣習である。

ジーン・ティアニーはハリウッド美人の代表格だが、わが目から見ると、とびぬけた美人とも見えない。趣味の違いだろう。

結論。このコレクションの中ではつまらない一編。
タグ:草原の追跡
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西部劇「ヴァージニアン」 [映画]

西部劇「ヴァージニアン」を見る。1929年製作。つまり、トーキー初期の西部劇。トーキー初期の映画はカメラ・ワークが不自由で見難い。サイレント映画の方がまだ親しみやすい。

録音技術が未熟だった時代なので、発声は奇妙に聞こえる。耳の遠い人に話すような話し方である。

映画音楽は一切ない。冒頭のタイトルからして、牛の鳴き声である。音楽がうるさいのもかなわないが、全然ないというのも間が抜けている。

映画史に興味のある人はともかく、普通の人は見ても仕方ない。

最後の決闘場面だが、肝心なところはカット。銃声音だけ。これも演出技法のひとつだが。

男対男の勝負で、向き合って早撃ちを競うという、後年の西部劇の決闘場面はない。いつから、早撃ちを競うようになったのだろう?

映画史に興味のある人だけが見るべきものだろう。

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西部劇「廃墟の群盗」 [映画]

寒い日は西部劇を見よう。

「廃墟の群盗」は1948年製作の西部劇。主演は、グレゴリー・ペック、アン・バクスター。
監督はウィリアム・A・ウェルマン。ウェルマンの映画は重たいところがあって、爽快さが乏しい。

欲望がギラギラの映画。欲望とは何ぞや。金と女なり。

銀行強盗で追われた一味が追っ手を逃れて死の砂漠に入り込む。死の行進。やっとのことでゴースト・タウンを見つける。そこには老人と孫娘が住んでいた。

「ハリウッド映画はレイプする」というフェミニズムの本があったが、この映画など、その典型だろう。

ラストは、ブラック・ジョークだ。ハッピーエンドにしたかったからだろうが、無理矢理こじつけた感がある。誰もが納得しないラストである。
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