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映画「女相続人」 [映画]

10年ぐらい前まで、映画らしい映画というと、ウィリアム・ワイラーの作品を思い浮かべたものだ。チャカチャカしたCG映画は馴染めない。骨太演出のワイラー作品が一番だ。

ワイラーの作品では、俳優の演技の素晴らしさも堪能できる。表情とか仕草が誤解のないように演出されていた。画面の構図も明瞭である。

ワイラーの場合、左右、前後の構図ばかりではなく、上下の構図も重要である。ワイラーぐらい、階段をうまみに使う監督はいない。アメリカの家屋の場合、玄関から入ると、吹き抜けの広間になり、そこに階段がある。玄関から入ってきた人間を階段の上から迎えるという構図をとりやすい。

この映画では、上下の構図は余り使用されていないが、ラストは、ランプを持って階段を上がってくる女主人公のオリヴィア・デ・ハヴィランドを映す。

登場人物の関係と心理を構図で誤りなく描き出すのがウィリアム・ワイラーである。従って、観客に誤解のないように理解させるためには、各シークエンスのテンポは通常よりも遅くなる。この映画は2時間かかるが、他の監督ならば、15分ほど短くなっていただろう。

オリヴィア・デ・ハヴィランドは資産家の娘。しかし、父親に愛されていない。いわば抑圧された状態である。父が娘を憎むのは、最愛の妻が娘を産んで死んでしまったからである。愛する妻を失った原因となった娘を憎んでいる。娘は内向的にならざるをえない。

オリヴィア・デ・ハヴィランドはお姫様スターだったが、メイクを変えて魅力のない顔に化けている。話し方もおどおどして落ち着かない。こういう娘だから、男が近寄らない。

そういう娘に言い寄るのがモンゴメリー・クリフトである。ただ、観客には、この男が財産目当てなのか、本当に愛しているのかが、分からない。演じるのがモンゴメリー・クリフトだから、誠実そうに見えてしまう。

結局、駆け落ちしようということになるが、しかし、そうなると、相続権を失うことを知り、モンゴメリー・クリフトは迎えに来ない。

このことにより、娘は現実に目覚め、抑圧から解放される。喋る口調も変る。「自立」の第1歩を踏み出すのだ。父親に「お父さんは私を憎んでいる」と言い放ち、病んでいる父親を動揺させる。臨終にも立ち会わない。

全財産を相続した娘に、モンゴメリー・クリフトは再び言い寄るのだが、約束した時間に、娘は玄関の扉に錠をかけて入らせない。玄関の天窓越しにランプの光を遠ざかるのを見て、男は棄てられたことを知るのだ。
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