武蔵御嶽神社 [旅行]
武蔵御嶽神社へ行ったことがある。関東における山岳信仰を代表する神社である。修験者は、ここで修行したのだ。
青梅線の御嶽駅からバスで、ケーブル下まで行き、ケーブルで山上へ。ここから25分ほど歩く。山道を25分も歩くことは、今はできない。ここも今では、行くのを諦める場所である。
紅葉の季節に行ったのだった。
社殿は派手。東照宮風である。
写真を見ると、社殿から下におりていくように撮られている。のぼりは、写真を撮る余裕がなかったのだろう。
武蔵御嶽神社については、行ったことは記憶しているが、途中の風景についてはまったく記憶がない。
山道だが、安全である。房総半島の日本寺とは違う。日本寺は、狭い岩だらけの凸凹道を歩く。
門前町というのか、お店がある。
ケーブル山上駅に戻る。
青梅線の御嶽駅からバスで、ケーブル下まで行き、ケーブルで山上へ。ここから25分ほど歩く。山道を25分も歩くことは、今はできない。ここも今では、行くのを諦める場所である。
紅葉の季節に行ったのだった。
社殿は派手。東照宮風である。
写真を見ると、社殿から下におりていくように撮られている。のぼりは、写真を撮る余裕がなかったのだろう。
武蔵御嶽神社については、行ったことは記憶しているが、途中の風景についてはまったく記憶がない。
山道だが、安全である。房総半島の日本寺とは違う。日本寺は、狭い岩だらけの凸凹道を歩く。
門前町というのか、お店がある。
ケーブル山上駅に戻る。
タグ:武蔵御嶽神社
富士山五合目 本栖湖 [旅行]
2004年10月24日。富士山五合目に行った。はとバスのツアーに参加した。この頃は、はとバスのパンフレットを見ては、日帰り旅行を繰り返した。他にやることがなかったのかと思う。
この後も旅行を繰り返したが、自分の人生を振り返ると、50歳頃までは旅行とは無縁だった。金も時間もなかった。ギリギリの生活だったからね。
7時半に東京駅を出発し、10時過ぎに富士山五合目に到着した。
富士山五合目から見る富士山は、不気味だった。
このあと、いつのことだったか、落石騒ぎがあった。駐車場に落ちて死傷者が出たと記憶する。
五合目に小御嶽神社がある。富士山と云えば、浅間神社だが、御嶽系統の神社があるのはいかなるわけか。
秋色の景色がいい。
五合目から本栖湖に出た。
はとバスが写っている。この址東京駅に戻る。17時に東京駅に戻った。
この後も旅行を繰り返したが、自分の人生を振り返ると、50歳頃までは旅行とは無縁だった。金も時間もなかった。ギリギリの生活だったからね。
7時半に東京駅を出発し、10時過ぎに富士山五合目に到着した。
富士山五合目から見る富士山は、不気味だった。
このあと、いつのことだったか、落石騒ぎがあった。駐車場に落ちて死傷者が出たと記憶する。
五合目に小御嶽神社がある。富士山と云えば、浅間神社だが、御嶽系統の神社があるのはいかなるわけか。
秋色の景色がいい。
五合目から本栖湖に出た。
はとバスが写っている。この址東京駅に戻る。17時に東京駅に戻った。
タグ:富士山五合目 本栖湖 小御嶽神社
茂林寺 [旅行]
2004年10月。館林市にある茂林寺へ。分福茶釜の茂林寺である。
東武伊勢崎線の茂林寺前駅で下りる。東武線も伊勢崎線は本数が少ない。1時間に3本ほどだ。
お寺の前のお店は古びていた。今はどうなっていることだろう?
境内は狸だらけ。
仁王門に到達。境内が広く、大きな寺院である。
お寺の中に入る。
庭園がある。
やっと「分福茶釜」を見る。王様のように鎮座していたな。
福を分けて貰えたかどうか。可もなし不可もなしで過ごせたから、それなりに。
東武伊勢崎線の茂林寺前駅で下りる。東武線も伊勢崎線は本数が少ない。1時間に3本ほどだ。
お寺の前のお店は古びていた。今はどうなっていることだろう?
境内は狸だらけ。
仁王門に到達。境内が広く、大きな寺院である。
お寺の中に入る。
庭園がある。
やっと「分福茶釜」を見る。王様のように鎮座していたな。
福を分けて貰えたかどうか。可もなし不可もなしで過ごせたから、それなりに。
タグ:茂林寺
館山 萬徳寺 館山駅 [旅行]
洲崎神社からバスで館山駅に戻る。再び、バスで萬徳寺へ向う。
萬徳寺は、涅槃仏で有名である。16メートルの青銅製のものである。
バス停から丘を上がる。
房総の風景を眺める。
涅槃仏の前に出る。拝観料を払った。ところが、ここには、涅槃仏しかない。寺院の建物がない。お堂がない。不思議だと思ったことが手帳に書いてある。
無宗派であることを考えると、観光スポット用につくられたものではないか。建立は1982年であるから、まず間違いない。
涅槃仏の前で記念写真を撮っている。受付の人に撮ってもらったものか。
当時は元気で、今とは大違いだ。恰幅もいい。今は、写真を撮らない。ヨボヨボ姿の写真など撮っても仕方ない。体重にして10キロほど減少している。最近は痩せが気になってきたが、いくら食べても太らない。老人痩せになってしまった。
萬徳寺から館山駅に戻る。駅から駅前広場を見る。
変ってないなぁ。去年館山へ行ったが、この風景と同じだ。18年がたっているが、変っていない。
館山駅。特徴がある。これも変っていない。
館山海岸まで行く。夕暮れ近し。
このあと金谷まで行き、フェリーで久里浜へ。横浜駅周辺の店で夕食を食べて帰宅。
萬徳寺は、涅槃仏で有名である。16メートルの青銅製のものである。
バス停から丘を上がる。
房総の風景を眺める。
涅槃仏の前に出る。拝観料を払った。ところが、ここには、涅槃仏しかない。寺院の建物がない。お堂がない。不思議だと思ったことが手帳に書いてある。
無宗派であることを考えると、観光スポット用につくられたものではないか。建立は1982年であるから、まず間違いない。
涅槃仏の前で記念写真を撮っている。受付の人に撮ってもらったものか。
当時は元気で、今とは大違いだ。恰幅もいい。今は、写真を撮らない。ヨボヨボ姿の写真など撮っても仕方ない。体重にして10キロほど減少している。最近は痩せが気になってきたが、いくら食べても太らない。老人痩せになってしまった。
萬徳寺から館山駅に戻る。駅から駅前広場を見る。
変ってないなぁ。去年館山へ行ったが、この風景と同じだ。18年がたっているが、変っていない。
館山駅。特徴がある。これも変っていない。
館山海岸まで行く。夕暮れ近し。
このあと金谷まで行き、フェリーで久里浜へ。横浜駅周辺の店で夕食を食べて帰宅。
安房国分寺 洲崎神社 [雑感]
古い写真だが、2004年10月のもの。館山まで出かけたのだ。
今、館山へ行くなら、横浜から高速バスを利用するところだが、当時はそんなことは頭になく、東京湾フェリーを使い、久里浜から浜金谷まで乗り、ここから内房線で館山に行ったのだった。
まず、安房国分寺へ行った。館山駅から東へ2.5キロのところにある。行きはタクシーを使い、帰りはバスに乗った。当時の手帳を見ると、そういうことである。
ところが、安房国分寺へ行ったという記憶がまったくない。昔の写真を見て困惑するのは、記憶にない風景に出会うことだ。幻を見る気がする。オレはどうなっているのだろうかと、自分を危ぶむ。
当時は、一ノ宮と国分寺に興味があったので、出かけたものなのだろう。
参道に薬師如来の幟が並んでいた。
テントがあり、地元の人がいた。こういうことは、本尊の薬師如来の御開帳期間中だったことを示す。接待を受けたかもしれないが、当然、まったく記憶にない。
安房国分寺からバスで館山駅に戻る。再び、バスに乗り、洲崎神社へ行く。安房一ノ宮とされている。
安房国は、房総半島の南部にあるが、洲崎神社は、東京湾に突き出た岬にある。
安房(あわ)は「阿波」に通じる。忌部氏が四国の阿波から黒潮の流れに乗って房総半島の先端にたどり着いたのだ。この地方の方言は、房総半島の他の方言とは違うという。
社殿。
社殿の背後にあがり、太平洋を見る。目の前に伊豆大島が見えるはずだが、写真には写っていない。
洲崎神社からバスで館山駅に戻った。
今、館山へ行くなら、横浜から高速バスを利用するところだが、当時はそんなことは頭になく、東京湾フェリーを使い、久里浜から浜金谷まで乗り、ここから内房線で館山に行ったのだった。
まず、安房国分寺へ行った。館山駅から東へ2.5キロのところにある。行きはタクシーを使い、帰りはバスに乗った。当時の手帳を見ると、そういうことである。
ところが、安房国分寺へ行ったという記憶がまったくない。昔の写真を見て困惑するのは、記憶にない風景に出会うことだ。幻を見る気がする。オレはどうなっているのだろうかと、自分を危ぶむ。
当時は、一ノ宮と国分寺に興味があったので、出かけたものなのだろう。
参道に薬師如来の幟が並んでいた。
テントがあり、地元の人がいた。こういうことは、本尊の薬師如来の御開帳期間中だったことを示す。接待を受けたかもしれないが、当然、まったく記憶にない。
安房国分寺からバスで館山駅に戻る。再び、バスに乗り、洲崎神社へ行く。安房一ノ宮とされている。
安房国は、房総半島の南部にあるが、洲崎神社は、東京湾に突き出た岬にある。
安房(あわ)は「阿波」に通じる。忌部氏が四国の阿波から黒潮の流れに乗って房総半島の先端にたどり着いたのだ。この地方の方言は、房総半島の他の方言とは違うという。
社殿。
社殿の背後にあがり、太平洋を見る。目の前に伊豆大島が見えるはずだが、写真には写っていない。
洲崎神社からバスで館山駅に戻った。
タグ:安房国分寺 洲崎神社
マスク [雑感]
5月8日から、マスクの装着は任意になった。結果は…。
相変わらずマスク人間が多い。電車の中ではほとんどがマスク姿だ。
屋外なら、マスクは要らないと思うが、そうでもない。川沿いの土手を歩いていてもマスク姿を見る。
習慣になってしまった。
まぁ、暑くなれば、マスクを外すようになるだろう。暑いときのマスクは息苦しいからだ。
相変わらずマスク人間が多い。電車の中ではほとんどがマスク姿だ。
屋外なら、マスクは要らないと思うが、そうでもない。川沿いの土手を歩いていてもマスク姿を見る。
習慣になってしまった。
まぁ、暑くなれば、マスクを外すようになるだろう。暑いときのマスクは息苦しいからだ。
タグ:マスク
マイナ保険証 [雑感]
処方箋薬局に、マイナ保険証のカードリーダーが置いてあった。マイナンバーカードを持っていたので、試みに差し込んだ。もちろん、無効である。
調剤師が役所で手続きしないと使えませんという。
健康保険証で不自由はないが、大きいので財布に入らない。外出するときは、バッグに入れておかなければならない。まぁ、外出すると、いつ倒れるか不安なので健康保険証はいつも持ち歩いている。
そこで考えた。マイナンバーカードは財布に入る。これを保険証にすれば、財布だけ持っていればいい。
調剤薬局では、役所で手続きしなければいけないようなことを云われたが、ネットで調べると、セブン銀行で登録できるという。
早速、セブンイレブンへ行き、セブン銀行のATMで手続きする。拍子抜けするほど簡単に終わってしまった。
マイナ保険証は出来上がったが、使える医療機関は限られているらしい。
調剤師が役所で手続きしないと使えませんという。
健康保険証で不自由はないが、大きいので財布に入らない。外出するときは、バッグに入れておかなければならない。まぁ、外出すると、いつ倒れるか不安なので健康保険証はいつも持ち歩いている。
そこで考えた。マイナンバーカードは財布に入る。これを保険証にすれば、財布だけ持っていればいい。
調剤薬局では、役所で手続きしなければいけないようなことを云われたが、ネットで調べると、セブン銀行で登録できるという。
早速、セブンイレブンへ行き、セブン銀行のATMで手続きする。拍子抜けするほど簡単に終わってしまった。
マイナ保険証は出来上がったが、使える医療機関は限られているらしい。
タグ:マイナ保険証 セブン銀行
2004/10/01 三峯神社 [旅行]
2004年10月1日。秩父の三峯神社へ行ったときのアルバム。
これは思い出深い。何故かというと、最初に撮影したデジカメ写真だからである。それ以前のフィルム写真は、幼少年時代のものを除いて、すべて廃棄してしまった。だから、今手元に残っているものは、デジカメ写真ばかりである。もちろん、印刷していない。ハードディスクに保存している。これなら、処分するのも簡単だ。削除すればいいのだから。
2004年当時は、まだ三峯山ロープウェイがあった。これに乗り、山上へと行く。今ではロープウェイがなくなり、バスで山道を上がらなくてはならない。
ロープウェイをおりたところの風景。まだ緑の山々の風景である。コスモスが咲いていた。
ここから三峯神社へと歩いた。
下にロープウェイ前の広場を見る。
三峯神社境内。
拝殿。東照宮風のキンキラキンの社殿である。
随神門へ歩く。ロープウェイの反対側にあった。
途中、日本武尊の像がある。三峯神社は、日本武尊が創建した、ということになっている。
華麗な随神門。
再び、ロープウェイでおりる。これが山頂駅だった。
下におり、荒川を渡り、秩父鉄道・三峯口駅へ向った。
これは思い出深い。何故かというと、最初に撮影したデジカメ写真だからである。それ以前のフィルム写真は、幼少年時代のものを除いて、すべて廃棄してしまった。だから、今手元に残っているものは、デジカメ写真ばかりである。もちろん、印刷していない。ハードディスクに保存している。これなら、処分するのも簡単だ。削除すればいいのだから。
2004年当時は、まだ三峯山ロープウェイがあった。これに乗り、山上へと行く。今ではロープウェイがなくなり、バスで山道を上がらなくてはならない。
ロープウェイをおりたところの風景。まだ緑の山々の風景である。コスモスが咲いていた。
ここから三峯神社へと歩いた。
下にロープウェイ前の広場を見る。
三峯神社境内。
拝殿。東照宮風のキンキラキンの社殿である。
随神門へ歩く。ロープウェイの反対側にあった。
途中、日本武尊の像がある。三峯神社は、日本武尊が創建した、ということになっている。
華麗な随神門。
再び、ロープウェイでおりる。これが山頂駅だった。
下におり、荒川を渡り、秩父鉄道・三峯口駅へ向った。
タグ:三峯神社
大雄山最乗寺 (道了尊) [旅行]
大雄山・最乗寺を訪れる。ゴールデンウィークでも、ここなら空いていると思ったからだ。
小田原駅から大雄山線に乗車し、終点の大雄山駅で下り、ここからバスで10分。バスで10分だから、市街地に近いが、趣は深山幽谷である。
足柄山の杉林を切り拓いて建立された寺院で、やはり、この寺を見ると、昔の人の宗教的情熱を感じる。難工事だったのだろうが、1年ほどで出来上がったという。異常な力を発揮したのが道了で、最後は山奥に隠れた。ということで、地元の人は、道了尊と呼んでいる。道了は天狗の化身ではないかということで、ここは天狗伝説の寺としても有名だ。
本来は曹洞宗の寺院で、永平寺、総持寺に次ぐ格があるらしい。
緑の囲まれた清々しいお寺である。
境内には、本堂、書院、僧堂があるが、いずれも禅僧の修行のためで一般の参詣者には縁遠い。
少し上がると、御真殿がある。道了大薩埵を祀っている。御祈祷もこちらで行う。
天狗の大下駄。和合下駄として親しまれている。
小田原駅から大雄山線に乗車し、終点の大雄山駅で下り、ここからバスで10分。バスで10分だから、市街地に近いが、趣は深山幽谷である。
足柄山の杉林を切り拓いて建立された寺院で、やはり、この寺を見ると、昔の人の宗教的情熱を感じる。難工事だったのだろうが、1年ほどで出来上がったという。異常な力を発揮したのが道了で、最後は山奥に隠れた。ということで、地元の人は、道了尊と呼んでいる。道了は天狗の化身ではないかということで、ここは天狗伝説の寺としても有名だ。
本来は曹洞宗の寺院で、永平寺、総持寺に次ぐ格があるらしい。
緑の囲まれた清々しいお寺である。
境内には、本堂、書院、僧堂があるが、いずれも禅僧の修行のためで一般の参詣者には縁遠い。
少し上がると、御真殿がある。道了大薩埵を祀っている。御祈祷もこちらで行う。
天狗の大下駄。和合下駄として親しまれている。
タグ:最乗寺 道了尊
整形外科へ [雑感]
腰痛、腿痛、不快なり。
2023/05/08 朝一番で整形外科へ。寒い雨の朝である。患者も少なかろうと読んだのだ。結果は正解で、すぐ診て貰えた。
レントゲンを何枚か撮って、その結果は?
「残念ですが老化です。」老化だろうと思っていたが、やはり。ハッキリすれば、諦めもつく。
高齢になると、こういう痛みは治らない。やがて、痛みに慣れてくる。治るのではなく、慣れるのだ。これが積み重なっていく。
気休みにリハビリしたが、3種類のリハビリで30分かかった。予想よりも効果があった気がする。また、間をおいて行こう。
先生が言うには、4月は、気温の変化が激しく、腰痛などで、過去最高の患者数だったそうだ。メディアが煽ったのがよくないと怒っていた。
コロナのメディアの報道に疑問を持っていたので、テレビは全然見ないが、どういう報道をしていたのだろうか。もっともメディア報道にすぐ乗せられる視聴者のメンタリティの弱さにも目が行くね。
2023/05/08 朝一番で整形外科へ。寒い雨の朝である。患者も少なかろうと読んだのだ。結果は正解で、すぐ診て貰えた。
レントゲンを何枚か撮って、その結果は?
「残念ですが老化です。」老化だろうと思っていたが、やはり。ハッキリすれば、諦めもつく。
高齢になると、こういう痛みは治らない。やがて、痛みに慣れてくる。治るのではなく、慣れるのだ。これが積み重なっていく。
気休みにリハビリしたが、3種類のリハビリで30分かかった。予想よりも効果があった気がする。また、間をおいて行こう。
先生が言うには、4月は、気温の変化が激しく、腰痛などで、過去最高の患者数だったそうだ。メディアが煽ったのがよくないと怒っていた。
コロナのメディアの報道に疑問を持っていたので、テレビは全然見ないが、どういう報道をしていたのだろうか。もっともメディア報道にすぐ乗せられる視聴者のメンタリティの弱さにも目が行くね。
タグ:整形外科