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「残菊物語」(溝口健二) [映画]

「残菊物語」は新派の代表作だ。新派の舞台は見たことがないが、映画化されたものは結構見ている。今じゃ昔の映画だけれど。

「残菊物語」は何度か映画化されているが、1939年製作の、この溝口健二の作品がもっとも優れているという。他の映画と比較していないので断言できないが。

甘さは微塵もない映画だ。

溝口健二は、この映画で、ワンシーン・ワンカットの技法を完成させ、戦後の世界の映画界に大きな影響を与えた。ワンシーン・ワンカットはヘタをすると眠くなるが、この映画は違う。段々と目が冴えてくる。

明治の日本を知るには恰好の映画だ。溝口の映画なのだから、時代考証や美術に手落ちはない。これだけ凝集力のある映画は滅多にあるものではない。

溝口健二の「残菊物語」についての最良の解説は、池波正太郎のものである。「池波正太郎のフィルム人生」(新潮文庫)に収録されている。13ページにわたる詳細なものだ。ところが、この文庫本は、いかなるわけか、初版だけで再版された形跡がない。アマゾンで探すしかない。

池波正太郎の映画批評は、映画批評を超えたところがある。人生、社会、歴史と幅広く語る。一流の批評には、それらが必要だ。それが批評に厚みをもたらすのだ。
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「浮草物語」(小津安二郎) [映画]

小津安二郎監督作品。1934年製作。アメリカはとっくにトーキーに切り替わっていたが、小津安二郎はサイレント映画にこだわった。日本最初のトーキー映画は1931年の「マダムと女房」である。

小津安二郎は、「浮草物語」を戦後にカラー映画で再映画化している。

ドサ回りの芝居一座の話なのだから、戦前版の方が雰囲気が良く出ている。戦前、ドサ回りの旅役者は河原乞食と蔑まれ、堅気の世界とは区別されていた。まともな人間は役者などにはならなかった。女役者は、枕営業が当たり前の世界だった。戦前の検閲は厳しかったから、ハッキリとは描いていないが。

坂本武の一座の座長は、旅先で知り合った女に生ませた息子がいるが、堅気にさせたいばかりに、父親と名乗ることができない。その苦渋から旅芸人の悲哀が浮かび上がる。

小津安二郎は、何か、淡々と映画を作り上げているように見えるが、この映画の盛り上げ方は並々ならぬものがある。クライマックスの作り方のうまさは注目に値する。
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