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ブルガリア国立歌劇場「トゥーランドット」 [音楽]

10月8日。上野文化会館でブルガリア国立歌劇場公演「トゥーランドット」を見る。15時から始まり、18時前に終了した。

前に見たバーリ歌劇場の「トゥーランドット」は第3幕のリューの死で終わり、梯子を外された気分になったが、今回は最後の「皇帝に栄光あれ」まできちんと見せてくれた。いくらフランコ・アルファーノの補作が凡庸であるとは云え、終結部まで演奏するのが観客に対するサービスというものだろう。スペクタクル・オペラなのだから。

6日に見た「カルメン」で失望したので「トゥーランドット」はどうかと思っていた。歌手が強力でなければつまらないオペラだからだ。

その点から言うと、今回の「トゥーランドット」は十分に堪能できる出来映えだった。

カラフ:      カメン・チャネフ
トゥーランドット: ガブリエラ・ゲオルギエヴァ
リュー:      ラドスティーナ・ニコラエヴァ
ピン:       アタナス・ムラデノフ
ポン:       フリシミール・ダミャノフ
パン:       ニコライ・パヴロフ
ティムール:    スヴェトザール・ランゲロフ

特にカラフを歌うカメン・チャネフは素晴らしくよく通る声で、第一声を聞いただけで眠気が飛んでしまった。(始まる前は眠かった…。)

トゥーランドットのガブリエラ・ゲオルギエヴァは最初はかたかったが、謎かけ場面あたりから本調子になった。第3幕は全開で、これがオペラ歌手だと感動した。

脇役のピン・ポン・パンも安定した歌唱だった。合唱が弱い気がしたが、そもそも人数が少ない。(資金面の限界があるのだろう。)

指揮はグリゴール・パリカロフ。ベテランなのだろう。安定していた。オケは連日の公演(6日、7日、8日)で第3幕はややヘタり気味。

演出は「カルメン」と同じく、プラーメン・カルターノフだった。演出は似ていた。「カルメン」では中央に円い台座が置かれていたが、「トゥーランドット」では円ではなく、八角形の台座になった。群衆は「カルメン」では白い仮面を被っていたが、「トゥーランドット」では白いマスクである。

「カルメン」の時は違和感を感じたが、「トゥーランドット」では2度目で慣れたせいか?気にならなくなった。順応するのは早い。


「カルメン」との聞こえ方の違いに戸惑う。演奏が違うのか、私に耳の調子が違うのか。他の人はどう聞こえたのだろうか。

自分の耳の聞こえ方に疑問符が付くと、コンサートも楽しくない。足が遠のく。

(追記)

ブルガリア歌劇場職員の不祥事があったが、新聞記事になったのは歌劇団が帰国したあとだった。当然と言えば、当然だ。

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ブルガリア歌劇場「カルメン」 [音楽]

10月6日。15時~18時。東京文化会館でブルガリア歌劇場「カルメン」をみる。

思いがけない演出で、能の影響は明らかだ。「カルメン」は運命劇だが、その部分だけを抽出すると、こういう演出になるのかと思う。

群衆は、カルメンとホセの運命を傍観するだけの存在だ。

セットも抽象的で、蒸留水を飲むような味気なさを感じた。馴染めない。スペインの熱気がまったく感じられない。

第4幕だけは別。

原田慶太楼の指揮は微温的である(ように聞こえた)。(自分の聴力の問題もあるかもしれない。)途中で眠くなった。「カルメン」がこれでは困る。


歌手はカルメン役のゲルガーナ・ルセコーヴァがよく、他の歌手は日本人歌手と変らない。

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10/5 新日本フィル演奏会 [音楽]

10月5日、14時から、新日本フィル演奏会をすみだトリフォニー・ホールで聴く。指揮は上岡敏之。

オール・ベートーヴェン・プログラムで

①交響曲第4番
②ピアノ協奏曲第2番(ピアノ:田部京子)
③交響曲第7番
(アンコール メンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」より第4楽章。)


低音が聞こえないのに参る。コントラバスが弾いている姿は見えるが、全然響いてこない。自分の聴力の衰えは歴然としている。

高齢になれば、聴力は落ちる。しかし、このことを問題にする記述を読んだことがない。演奏も違って聞こえるはずだ。


高音域はすでに聞き取りにくくなっていることは自覚しているが、低音域も同じ運命になった。中音域だけが目立って聞こえる。

高額のチケット代を払ってコンサートへ行っても仕方ない。

そういう聴力を前提にこのコンサートを聴く。新日本フィルは粗いところのあるオケだと思っていたが、今回のコンサートではそういうところがなかった。流麗、スマートな演奏だった。

その点からみれば、交響曲第4番が適合する。名演だった。第7はスマートすぎた。ピアノ協奏曲第2番は弱音部は玉を転がすような美音だったが、低音が響かず、訴える力が弱かった。


(追記)

N響のバイオリン奏者だった鶴我裕子の「バイオリストは弾かない」を読む。この中のN響の団員との対談で、今の指揮者はツンツルテンの音楽作りをするという話で意気投合している。

スマートというか、ツンツルテンというか、これが若い指揮者の特徴であるらしい。

”スマート、ツンツルテン、標準的、教科書的”と並べ立てれば、コンサートの中味も想像が付く。

第7番の第4楽章に迫力を感じないのは寂しい。


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