台中市 宝覚寺 埔里 [旅行]
台中のホテルを出発し、まず宝覚寺へ向かう。巨大な布袋尊像がある。これは記憶に残る。
宝覚寺は臨済宗だが、日本と異なるところは僧侶の妻帯が禁止されていることだ。
本堂。昔の写真を見ると、本堂の建物だけだったが、今はコンクリートで防護されている。耐震のためであるそうだ。
台中市から埔里に向かう。海外旅行につきもののお土産店に立ち寄る。ここではラテックス寝具店だった。ツアーの最中にお土産店に立ち寄るのは悪習だと思うが一向に改善されない。
ここは台湾のへそである。東西南北で線を引くと、ここで交差する。碑がある。
実際のへそは山の上だという。
宝覚寺は臨済宗だが、日本と異なるところは僧侶の妻帯が禁止されていることだ。
本堂。昔の写真を見ると、本堂の建物だけだったが、今はコンクリートで防護されている。耐震のためであるそうだ。
台中市から埔里に向かう。海外旅行につきもののお土産店に立ち寄る。ここではラテックス寝具店だった。ツアーの最中にお土産店に立ち寄るのは悪習だと思うが一向に改善されない。
ここは台湾のへそである。東西南北で線を引くと、ここで交差する。碑がある。
実際のへそは山の上だという。
台中市 [旅行]
台湾旅行の一日目は台中市のホテルに宿泊した。4泊5日のツアーだったので4つのホテルに泊まったが、いずれも部屋は良かった。
まず、部屋に入ると、電気がきちんとつくか、風呂は大丈夫か、エアコンが稼働するかどうかを確認する。
部屋はいいが、ナイトウエア(パジャマ)はない。日本から持参するか、下着で寝るか、どちらかだ。
ホテルの部屋から見た街の風景。
日本と変らない。
ホテル前。
ホテルの横にお宮があった。「元保宮」という。
華麗、煌びやかである。
普通のお宮かと思ったが違っていた。現地添乗員にきくと、これはホテルのオーナーが建てたもので節税目的だそうである。
台湾の街中でこういうお宮をしばしば見かけたが、いずれも節税目的なのかもしれない。
まず、部屋に入ると、電気がきちんとつくか、風呂は大丈夫か、エアコンが稼働するかどうかを確認する。
部屋はいいが、ナイトウエア(パジャマ)はない。日本から持参するか、下着で寝るか、どちらかだ。
ホテルの部屋から見た街の風景。
日本と変らない。
ホテル前。
ホテルの横にお宮があった。「元保宮」という。
華麗、煌びやかである。
普通のお宮かと思ったが違っていた。現地添乗員にきくと、これはホテルのオーナーが建てたもので節税目的だそうである。
台湾の街中でこういうお宮をしばしば見かけたが、いずれも節税目的なのかもしれない。
タグ:台中市
4月20日 読響 マーラー第9番 [旅行]
4月20日。19時~21時10分。サントリーホールで読響のマーラー交響曲第9番を聴く。
指揮は常任のシルヴァン・カンブルラン。
案外と空席があった。8割ぐらい席が埋まっていた。マーラーは人気がない?と思いたいところだが、6月28日のコルネリウス・マイスターの第2番「復活」ははやチケット完売。買い損ねた。
マーラーの交響曲の前にチャールズ・アイヴズの「ニューイングランドの3つの場所」が演奏された。
冒頭を聞いたときに、ドビュッシー…印象派…拍手する気になれない…と連想した。読響の音は素晴らしかったが。
なぜこの曲を前座に置いたのか。作曲年代を見ると、マーラーの交響曲第9番とほぼ同年代である。1910年前後と言うことで共通する。
15日に聞いた読響のプログラムの後半はドビュッシーの「クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲」と「春の祭典」でいずれも1910年代前半の曲である。
演奏日は違うが、1910年前後の曲を4曲立て続けに聞いたことになる。
マーラーの交響曲は相性のいいものと悪いものと極端に分かれてしまうが、第9番に関しては…。
第1楽章~第3楽章は、ナニを演奏しているのかなと、ボー然として聞いた。読響の音は素晴らしかった。今月の7日と15日と2回聞いているが、別のオケかと思うようないい音を出していた。音は良くても、全然ついて行けない。
ところが、第4楽章になると、入魂の演奏と言うべきか、どんどん響いた。最後は汗ばんできた。
指揮棒を下ろしたあとの態度からうかがうと、カンブルランとしても会心の出来ではなかったか。
指揮は常任のシルヴァン・カンブルラン。
案外と空席があった。8割ぐらい席が埋まっていた。マーラーは人気がない?と思いたいところだが、6月28日のコルネリウス・マイスターの第2番「復活」ははやチケット完売。買い損ねた。
マーラーの交響曲の前にチャールズ・アイヴズの「ニューイングランドの3つの場所」が演奏された。
冒頭を聞いたときに、ドビュッシー…印象派…拍手する気になれない…と連想した。読響の音は素晴らしかったが。
なぜこの曲を前座に置いたのか。作曲年代を見ると、マーラーの交響曲第9番とほぼ同年代である。1910年前後と言うことで共通する。
15日に聞いた読響のプログラムの後半はドビュッシーの「クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲」と「春の祭典」でいずれも1910年代前半の曲である。
演奏日は違うが、1910年前後の曲を4曲立て続けに聞いたことになる。
マーラーの交響曲は相性のいいものと悪いものと極端に分かれてしまうが、第9番に関しては…。
第1楽章~第3楽章は、ナニを演奏しているのかなと、ボー然として聞いた。読響の音は素晴らしかった。今月の7日と15日と2回聞いているが、別のオケかと思うようないい音を出していた。音は良くても、全然ついて行けない。
ところが、第4楽章になると、入魂の演奏と言うべきか、どんどん響いた。最後は汗ばんできた。
指揮棒を下ろしたあとの態度からうかがうと、カンブルランとしても会心の出来ではなかったか。
タグ:マーラー交響曲第9番