五島美術館 [雑感]
五島美術館へ西行展を見に出かける。
西行には関心があるが、古文書の展示を見ても、何の感興も起きなかった。これには、我ながら、落胆した。自分の持っている知識とはかけ離れた世界だ。熱心に見ている入場者が多かったが、育ちが違うのだろう。
自分はこういう世界とは無縁であることが分かっただけ。日本の古典については、ほぼ無縁である。歌舞伎も能も無縁である。
展示はそこそこに庭園に出る。
まず階段を下りる。全体、この五島美術館の庭園は、アップダウンが激しい。歩いている最中には気がつかなかったが、ここは立川から上野毛まで続く国分寺崖線にある。崖線を下におりたのだ。古多摩川が丘陵を削り取って出来たのが国分寺崖線である。
階段の途中に大日如来像があった。五島美術館は東急の実質的な創始者・五島慶太が収集した美術品を収めている。
下におりると、春日荘門がある。
佛域で、石仏・灯籠が並んでいる。昔は、金があると、こういうものを買い求めたのだ。時代が変った。今の資産家がこういうものを買い集めるだろうか。基礎となる教養が異なっている。
階段を上がる。
赤門に至る。
赤門を通ると、瓢箪池がある。
なお上がる。
樹木の合間から二子玉川の高層ビルが見えた。
茶室がある。
天佑庵門を出ると、美術館前である。これで一巡した。
西行には関心があるが、古文書の展示を見ても、何の感興も起きなかった。これには、我ながら、落胆した。自分の持っている知識とはかけ離れた世界だ。熱心に見ている入場者が多かったが、育ちが違うのだろう。
自分はこういう世界とは無縁であることが分かっただけ。日本の古典については、ほぼ無縁である。歌舞伎も能も無縁である。
展示はそこそこに庭園に出る。
まず階段を下りる。全体、この五島美術館の庭園は、アップダウンが激しい。歩いている最中には気がつかなかったが、ここは立川から上野毛まで続く国分寺崖線にある。崖線を下におりたのだ。古多摩川が丘陵を削り取って出来たのが国分寺崖線である。
階段の途中に大日如来像があった。五島美術館は東急の実質的な創始者・五島慶太が収集した美術品を収めている。
下におりると、春日荘門がある。
佛域で、石仏・灯籠が並んでいる。昔は、金があると、こういうものを買い求めたのだ。時代が変った。今の資産家がこういうものを買い集めるだろうか。基礎となる教養が異なっている。
階段を上がる。
赤門に至る。
赤門を通ると、瓢箪池がある。
なお上がる。
樹木の合間から二子玉川の高層ビルが見えた。
茶室がある。
天佑庵門を出ると、美術館前である。これで一巡した。
2022-11-13 15:43
多摩川台公園 [雑感]
11月6日。砧公園の帰りに多摩川台公園に立ち寄る。
多摩川台公園には子供時代の思い出が詰まっている。多摩川台公園の対岸の新丸子で幼少年時代を過ごしたからである。高校入学と同時に新丸子から引っ越し、しかもその土地で半世紀を生活したが、全然、懐かしさを感じない。思い出の懐かしさは新丸子に限られる。幼少年時代の記憶の方が濃厚であるようだ。
対岸の新丸子側を見る。自分が遊び回ったときとは違う。原っぱで雑草が生い茂っていた。学校から帰宅すると、ここでバッタやトンボを捕って遊んだものである。
今ではまったく面影がないが、ここにサーキット場があった。日本初のカーレースが行われた場所だ。戦後にはオートバイ・レースが行われたこともある。
多摩川の流れも変った。段々と、東京都(多摩川台公園)側に向きを変えているように思う。もし土手がなければ多摩川台公園にぶつかっていただろう。多摩川は暴れ川である。
武蔵小杉の高層ビル群が見える。子供時代にはまったくなかったものだ。武蔵小杉駅周辺は工場地帯だった。労働者が働く場所だった。それだけに風紀は悪かった。武蔵小杉駅方向には子供は行っては行けないと、親に注意されたものだ。
工場が海外に移転し、その空き地に高層ビルが建ったのだ。
多摩川台公園には古墳がある。亀甲山古墳である。被葬者は分かっていない。自分が子供の時代には多摩川台公園とは呼ばず、単に亀甲山(かめのこやま)と呼んでいた。
多摩川台公園には子供時代の思い出が詰まっている。多摩川台公園の対岸の新丸子で幼少年時代を過ごしたからである。高校入学と同時に新丸子から引っ越し、しかもその土地で半世紀を生活したが、全然、懐かしさを感じない。思い出の懐かしさは新丸子に限られる。幼少年時代の記憶の方が濃厚であるようだ。
対岸の新丸子側を見る。自分が遊び回ったときとは違う。原っぱで雑草が生い茂っていた。学校から帰宅すると、ここでバッタやトンボを捕って遊んだものである。
今ではまったく面影がないが、ここにサーキット場があった。日本初のカーレースが行われた場所だ。戦後にはオートバイ・レースが行われたこともある。
多摩川の流れも変った。段々と、東京都(多摩川台公園)側に向きを変えているように思う。もし土手がなければ多摩川台公園にぶつかっていただろう。多摩川は暴れ川である。
武蔵小杉の高層ビル群が見える。子供時代にはまったくなかったものだ。武蔵小杉駅周辺は工場地帯だった。労働者が働く場所だった。それだけに風紀は悪かった。武蔵小杉駅方向には子供は行っては行けないと、親に注意されたものだ。
工場が海外に移転し、その空き地に高層ビルが建ったのだ。
多摩川台公園には古墳がある。亀甲山古墳である。被葬者は分かっていない。自分が子供の時代には多摩川台公園とは呼ばず、単に亀甲山(かめのこやま)と呼んでいた。
2022-11-13 08:59
砧公園 [雑感]
11月6日。日曜日。
砧公園を歩く。秋色が濃くなっていた。
家族連れが多かった。ノンビリした光景で、穏やかである。しかし、単身生活者には眩しいところがある。子供たちが走りまわっている姿を見ると、自分が疎外されているような居心地の悪さを感じる。
自分は家族を持たなかった。何か、やり残したことがあるような気がする。自分の人生に欠損部分があるような気がする。
仕事人間だったが、おおかたは無益で、しかも残るものはなかった。会社勤めの仕事は、退職すると何も残らない。今になって気付く。気付くのが遅すぎた。もっとも池波正太郎が同じことを云っているのには驚いた。あれだけ、充実した作品群を残したのに、虚しさを感じていたらしいから。誰にもある老年特有の現象か。
樹木の色づきを見ると、来年も見ることができるだろうかと思う。残りの人生は、貴重な日々だが、ボロボロと毎日が指から落ちていく気がする。脳の老化とはこういうものか。充実感というものが感じられなくなる。
砧公園を歩く。秋色が濃くなっていた。
家族連れが多かった。ノンビリした光景で、穏やかである。しかし、単身生活者には眩しいところがある。子供たちが走りまわっている姿を見ると、自分が疎外されているような居心地の悪さを感じる。
自分は家族を持たなかった。何か、やり残したことがあるような気がする。自分の人生に欠損部分があるような気がする。
仕事人間だったが、おおかたは無益で、しかも残るものはなかった。会社勤めの仕事は、退職すると何も残らない。今になって気付く。気付くのが遅すぎた。もっとも池波正太郎が同じことを云っているのには驚いた。あれだけ、充実した作品群を残したのに、虚しさを感じていたらしいから。誰にもある老年特有の現象か。
樹木の色づきを見ると、来年も見ることができるだろうかと思う。残りの人生は、貴重な日々だが、ボロボロと毎日が指から落ちていく気がする。脳の老化とはこういうものか。充実感というものが感じられなくなる。
2022-11-13 08:49