砧公園 [雑感]
11月6日。日曜日。
砧公園を歩く。秋色が濃くなっていた。
家族連れが多かった。ノンビリした光景で、穏やかである。しかし、単身生活者には眩しいところがある。子供たちが走りまわっている姿を見ると、自分が疎外されているような居心地の悪さを感じる。
自分は家族を持たなかった。何か、やり残したことがあるような気がする。自分の人生に欠損部分があるような気がする。
仕事人間だったが、おおかたは無益で、しかも残るものはなかった。会社勤めの仕事は、退職すると何も残らない。今になって気付く。気付くのが遅すぎた。もっとも池波正太郎が同じことを云っているのには驚いた。あれだけ、充実した作品群を残したのに、虚しさを感じていたらしいから。誰にもある老年特有の現象か。
樹木の色づきを見ると、来年も見ることができるだろうかと思う。残りの人生は、貴重な日々だが、ボロボロと毎日が指から落ちていく気がする。脳の老化とはこういうものか。充実感というものが感じられなくなる。
砧公園を歩く。秋色が濃くなっていた。
家族連れが多かった。ノンビリした光景で、穏やかである。しかし、単身生活者には眩しいところがある。子供たちが走りまわっている姿を見ると、自分が疎外されているような居心地の悪さを感じる。
自分は家族を持たなかった。何か、やり残したことがあるような気がする。自分の人生に欠損部分があるような気がする。
仕事人間だったが、おおかたは無益で、しかも残るものはなかった。会社勤めの仕事は、退職すると何も残らない。今になって気付く。気付くのが遅すぎた。もっとも池波正太郎が同じことを云っているのには驚いた。あれだけ、充実した作品群を残したのに、虚しさを感じていたらしいから。誰にもある老年特有の現象か。
樹木の色づきを見ると、来年も見ることができるだろうかと思う。残りの人生は、貴重な日々だが、ボロボロと毎日が指から落ちていく気がする。脳の老化とはこういうものか。充実感というものが感じられなくなる。