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津和野・益田旅行 永明寺 森鷗外墓所 [旅行]

森鷗外の墓所がある永明寺(ようめいじ)は津和野の中心街からは離れたところにある。

本堂はまだ改修中だった。

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庫裏を見る。

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かなり状態が悪くなっていて、補修工事が必要なように思えた。ただ、曹洞宗の寺院で檀家が少なく、資金面で苦労しているそうだ。先代の住職さんが亡くなって、専任の住職さんがおらず、他の寺院の住職さんが兼務するような状態だ。地方のお寺は厳しい。

一角に庭園がある。

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森鷗外の墓所におまいりした。

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森鷗外は遺言で津和野の地に墓所を設けるように言ったのだ。10歳で津和野を出て、以後50年間戻ることのなかった土地である。

その気持ちは分かるようであり、分からないようでもある。

鷗外は日本を普請中と言った。我々の時代も、なおそれが続く。時代の変遷は目まぐるしい。


タグ:森鷗外墓所

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津和野・益田旅行 津和野 殿町 本町 [旅行]

山陰の小京都と呼ばれる津和野観光の目玉は、武家屋敷の並ぶ殿町である。

太皷谷稲成神社から殿町へ移動する。

殿町の入口道路に太皷谷稲成神社の鳥居が立っている。

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殿町。十何年か前にここへ来たときは、美しい街並みだと感動したものである。今回歩いた印象は、通りが案外と短いということだった。新鮮さがなくなったのか、自分の感動力がうすれたのか、それは分からない。

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立派な門構えを見ると、時代の違いを感じる。今の住宅には門がない。

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マンションになれば、そもそも門を構えることは考えられない。門は、権威の象徴であり、外敵から家を守るためのものだった。

殿町の通りには掘割があり、金魚が泳いでいる。

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武家の町・殿町と町人の町・本町は今では隔てない通りになっているが、江戸時代には両者の間に門が設置されていて区分されていた。

今では信号があるだけで、信号を渡ると、本町である。街並みが変る。

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津和野・益田旅行 太皷谷稲成神社 [雑感]

津和野の名所は、武家屋敷通りの殿町と太皷谷稲成神社である。

太皷谷稲成神社は津和野城(山城である。)の登り口に当たる太皷谷に創建された神社で、津和野城の守り神である。

日本五大稲荷の一つとされていて、津和野駅にもそういう案内があった。

千本鳥居で有名だが、山道を上がらなければならない。脚力が衰えた身にはきつい。車道から上がる。

駐車場側の鳥居。

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正面の高台に津和野城址があり、石垣が残っている。ただ、見分けにくかった。

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社殿。稲荷神社らしく、朱塗りである。(なお太皷谷稲成神社は「稲荷」ではなく、「稲成」としているのが珍しい。)

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太皷谷稲成神社は、昭和に社殿を新しくした。この時に朱塗りのものにした。元宮が残っている。地味な普通の神社である。地元の人の中には、元宮の方がいいという人もいた。今の社殿は派手すぎるという。

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津和野・益田旅行 森鷗外旧宅 [旅行]

津和野は、森鷗外が生まれた地である。森鷗外の旧宅は現代まで保存され、旧宅の隣地に森鷗外記念館が建てられている。

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旧宅は意外と狭いが、江戸時代、明治時代は、このようなものだったのだろう。自分は、幼児に育った自宅を思い出した。社宅だったが、大きさは、これより、一回り小さかった。

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鷗外の幼少時の部屋。ここで勉学に励んだのだ。

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台所。土間で、粗末なように思えた。

自分の家は、板間で、水道、ガスがあった。電気冷蔵庫はまだなく、電気洗濯機もなかった。それなりに、時代の恩恵を受けていた。

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森鷗外の旧宅の横を津和野川が流れている。

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正面の丘の上に津和野城の石垣が見えた。津和野城は山城だった。

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右手に太皷谷稲成神社が見えた。津和野城への登り口にあり、城の守護のために創建されたものだ。日本五大稲荷の一つとされている。

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森鷗外記念館に向う。牡丹が綺麗に咲いていた。

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津和野は森鷗外の生地だが、鷗外は10歳の時に津和野を出て以来、一度も津和野に戻ることはなかった。これで津和野とは縁が切れたはずだが、遺言で津和野に墓をつくることになった。墓は、永明寺にある。

なぜなのか?と考えてしまう。

森鷗外は、明治日本を普請中と嘆いた。今も、日本は、欧米の思想を受け入れるのに忙しく、消化不良状態である。違いは、鷗外の世代は、日本と西欧の相克に悩んだが、現代は、彼我の違いに悩んでいないことだ。日本固有のアイデンティティは敗戦で衰弱した。しかし、相克はれっきとして存在する。意識しないだけだ。

2022年は、森鷗外没後100年になる。






タグ:森鷗外旧宅

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津和野・益田旅行 鷲原八幡宮 [雑感]

益田駅前のホテルに宿泊した翌日、山口線の特急で津和野へ向う。8時台に出発する電車は特急しかない。普通は7時台が1本で、次は11時台である。7時では朝が慌ただしいし、11時では津和野での観光時間が少なくなってしまう。ここに限らず、電車で地方を観光するのは不便な状況である。

津和野駅は改修中で、しかも無人だった。津和野は山陰の小京都と呼ばれる小さな町である。

町の外れといっていい場所に鷲原八幡宮がある。流鏑馬神事で名高い(らしい。)

鷲原八幡宮は、津和野町の町外れにあるが、レンタサイクルで行ける距離である。

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本殿・拝殿は国の重要文化財である。屋根を修復中だった。

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ここは流鏑馬神事が行われるが、馬場は草茫々といった感じだった。

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津和野・益田旅行 益田駅前 [雑感]

島根県の益田市と津和野町へ観光旅行に出かける。旅行に出かけた理由は、ANAの株主優待券を持っていたからだ。期限が近づき、捨てるのも勿体ないと思ったからだ。ネットでの予約は勝手が分からず四苦八苦した。

羽田空港から荻・石見空港行きの便に乗る。益田駅に着いたのは、18時半頃。荻・石見空港を18時に出発するバスに乗った。

益田駅前。島根県自体が過疎地のイメージだが、その島根県の西端にあるのが益田市だ。JR山陰線、山口線の乗換駅だが、両線とも運行本数は少ない。

益田市は、最近、ひょんな事から話題になった。例の阿武町の4630万円の誤入金問題である。阿武町は益田市の隣に位置する。東京から多くのメディア関係者が訪れたという。

人影の少ないことは予想していた。地方は、こんなものだ。

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駅舎の中。19時になると、無人である。JR関西の駅員はいない。昼間は業務委託員が管理していて、窓口での切符の販売はない。自動券売機を利用するしかない。一日の乗客は500人程度。

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駅前の道路。島根県の道路はいい。竹下登のお膝元だったからね。

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公共事業で金を落としても、県が栄えるわけではない。自前の産業を起こす方が重要だ。





タグ:益田駅

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