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失われた風景 [雑感]

2014年3月15日(土曜日)

武蔵小杉へ行く。小杉から多摩川まで歩いた。

私が育ったのは新丸子だった。多摩川縁にある山王日枝神社を参拝する。小さな神社だが、この近くで育ったのである。子供の時に境内で遊んだ。この神社だけはまだ昔の面影があると思うが、記憶は定かではない。

段々と過去の記憶が遠くなっていく。高齢になれば過去を思い出すことが多くなると思っていたが、それは間違いである。過去に対する懐かしい感情が起きなくなった。こういうものだろうか。思い出す力も失われていくらしい。

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かって通った幼稚園は廃園となっている。

かって通った上丸子小学校は建て替え中。プレハブの校舎があるだけ。おそらく耐震性に問題があって建て替えしているのだろう。

(当初は耐震性の問題と考えたが、収容能力の増加という側面の方が強いかもしれない。というのは武蔵小杉は高層マンションが続々と建てられているので、小学校の不足が予想されるから。小学校不足は横浜の東横線沿線である日吉・綱島地区でも問題になっている。)

2014年3月15日新丸子 019.JPG


中学校は廃校になっている。高校は中高一貫校として模様替え。校庭の一部は、マンション、公園となってしまった。

かって学んだ学校はもはや取り戻せない。昔の思い出になるものがほとんど失われている。


多摩川に出る。子供時代の懐かしい思い出が詰まっている場所であるはずだが、ほとんど何も思い出ささない。思い出したくもないようだ。楽しいことは色々あったが。多摩川の流れは変わらないが、周辺の風景は子供時代の多摩川とは違う。

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古いものが取り壊され、新しいものができる。新陳代謝するのだから喜ぶべきことなのだろう。若い時は新しいものができるとワクワクしたものである。

しかし、今は違う。取り壊される古いものに執着する。新しくできるものには目もくれない。古いものが取り壊されるたびに、自分が取り残されていくと感じる。

いつの間にか時代に置き去りにされた自分に気がつく。

こういう寂しさは、いくら心のケアをされてもなくなることはない。

変化の激しい時代である。時代に乗るか、時代から取り残されるか、どちらかしかない。

もう生まれて70年近くになろうとしているが、まったく賢くなったという気がしない。逆に、どんどんとバカになっているような気がする。

年輪を重ねれば賢くなるというのは幻想である。経験や知識が増えれば増えるほど、今まで気がつかなかった知らないことが多くなる。自分を愚かだと思うようになる。

知識欲は無間地獄に落ちるらしい。



タグ:無知
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