伏見稲荷大社 [旅行]
2007年12月19日。貴船神社を参拝した後、伏見稲荷大社に向かう。京都市の北から南へ大移動だが、京阪本線で乗り換えなしで行ける。
伏見稲荷大社にはこれ以前に2回行っている。わざわざお参りに行ったのは伏見稲荷大社の背後にある稲荷山を一周するためだった。伏見稲荷のお参りというと、だいたいが、拝殿でおしまいにするか、よくて、奥社あたりまで。
背後の稲荷山は4キロ、2時間かかる。稲荷山を一周すれば、残りは愛宕山だけ。愛宕山には翌年の紅葉の季節に登った。それ以後、京都に関心がなくなった。
伏見稲荷大社の本殿。この写真を見て、その巨大さに驚いている。中央の参拝客が豆粒のように見える。
伏見稲荷大社の北に紅葉の名所・東福寺があるが、東福寺の大伽藍も有名で「東福寺の伽藍づら」と揶揄されるほどだ。
この本殿は、1494年に建てられた。それ以前は、稲荷山の山頂に本殿があった。清少納言が伏見稲荷を訪れたときは、頂上まで登ったのである。
奥社を通り、階段を上る。視界が開けてくる。
」」
赤い鳥居が立ち並ぶ道を歩く。
一の峰にたどり着く。
8年前のことである。今とは状況が違い、年末のこの時期は歩く人はほとんどいなかった。たまたま大阪から来た中年の男性と一緒に歩くことになった。キッカケは忘れた。着物姿、下駄履きで、大阪なまりが強い人だった。話しながら歩いたので、案外楽にまわれた。
今では、伏見稲荷大社は外国人観光客に人気があるという。外国人はウォーキングを好むので、稲荷山は格好のウォーキング・コースになっているらしい。稲荷山は日本人より外国人のほうが多い時もあるらしい。
時代の流れを感じる。
一の峰からなお歩く。
御膳谷奉拝所。
伏見稲荷大社の御朱印は三か所で貰える。
<本社>
<奥社>
<御膳谷奉拝所>
この時の京都旅行は、伏見稲荷大社で終わった。京都駅へ戻ったが、疲労が強く、これ以上歩く気にはなれなかった。4日間で10万歩を歩いた。
よく歩けたと思う。今は4日間の旅行は無理で、3日間で終わらせるようにしている。歩数も3日間で4万歩が限度だろう。4万歩にとどめても帰宅した翌日は体の痛みに襲われ、夕方まで動けない。体力がそれだけ衰えた。
この時の旅行で驚くことは、いったん12月19日に帰宅はしたものの、24日のクリスマスイブにまた大阪へ旅行に行ったことである。
伏見稲荷大社にはこれ以前に2回行っている。わざわざお参りに行ったのは伏見稲荷大社の背後にある稲荷山を一周するためだった。伏見稲荷のお参りというと、だいたいが、拝殿でおしまいにするか、よくて、奥社あたりまで。
背後の稲荷山は4キロ、2時間かかる。稲荷山を一周すれば、残りは愛宕山だけ。愛宕山には翌年の紅葉の季節に登った。それ以後、京都に関心がなくなった。
伏見稲荷大社の本殿。この写真を見て、その巨大さに驚いている。中央の参拝客が豆粒のように見える。
伏見稲荷大社の北に紅葉の名所・東福寺があるが、東福寺の大伽藍も有名で「東福寺の伽藍づら」と揶揄されるほどだ。
この本殿は、1494年に建てられた。それ以前は、稲荷山の山頂に本殿があった。清少納言が伏見稲荷を訪れたときは、頂上まで登ったのである。
奥社を通り、階段を上る。視界が開けてくる。
」」
赤い鳥居が立ち並ぶ道を歩く。
一の峰にたどり着く。
8年前のことである。今とは状況が違い、年末のこの時期は歩く人はほとんどいなかった。たまたま大阪から来た中年の男性と一緒に歩くことになった。キッカケは忘れた。着物姿、下駄履きで、大阪なまりが強い人だった。話しながら歩いたので、案外楽にまわれた。
今では、伏見稲荷大社は外国人観光客に人気があるという。外国人はウォーキングを好むので、稲荷山は格好のウォーキング・コースになっているらしい。稲荷山は日本人より外国人のほうが多い時もあるらしい。
時代の流れを感じる。
一の峰からなお歩く。
御膳谷奉拝所。
伏見稲荷大社の御朱印は三か所で貰える。
<本社>
<奥社>
<御膳谷奉拝所>
この時の京都旅行は、伏見稲荷大社で終わった。京都駅へ戻ったが、疲労が強く、これ以上歩く気にはなれなかった。4日間で10万歩を歩いた。
よく歩けたと思う。今は4日間の旅行は無理で、3日間で終わらせるようにしている。歩数も3日間で4万歩が限度だろう。4万歩にとどめても帰宅した翌日は体の痛みに襲われ、夕方まで動けない。体力がそれだけ衰えた。
この時の旅行で驚くことは、いったん12月19日に帰宅はしたものの、24日のクリスマスイブにまた大阪へ旅行に行ったことである。
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