岩瀬不動尊 [旅行]
岩瀬不動尊・最上寺は、関東三十六不動霊場の第32番札所である。JR内房線・大貫駅から歩く。
神奈川から房総半島へ行くのは大変だ。アクアラインが開通する以前はフェリーを利用しなければならなかった。
今回は、高速バスで、横浜駅バスターミナル(YCAT)から木更津駅まで行き、木更津駅から内房線で大貫駅でおりた。大貫駅は木更津駅からは3つめの駅だが、時間はかかる。駅ごとに、2分待ち、5分待ちをする。単線区間だからである。
大貫駅でおりて、岩瀬不動尊までは徒歩で20分かかる。以前参拝したときの記憶はまったく役に立たなかった。記憶はウソをつく。そのことを改めて知った。
岩瀬不動尊は塀のないお寺である。
着いたのがちょうど昼食時だった。普通なら、庫裏があるので、昼食時でもかまわないのだが、あいにくと庫裏は新築中である。仮設の納経所は無人だった。
この庫裏は木造である。都市部では認められないものである。ここが都市部ではないという証明になる。
住職さんが来るまで、寺を一巡する。階段をあがり、観音堂へ行く。
ご覧の有様で、背後の丘が崩れてしまった。
上にのぼる。上から見下ろすと、こういう様子だった。 ↓
あとで、住職さんの話をきくと、大震災の時から地盤が緩んでおかしくなっていた。それが大雪で崩落したという。大きな桜の木があったが、それが倒れたという。
観音堂は無事だったので、いずれ修理はするが、今は庫裏を新築する方が優先です、という話。
死者が出た成田山横浜別院の崩落の話になった。
「あれは結構無理な工事をしていたように思えます。」と私。
「信者の人が高齢化して、丘の上にのぼるのがきつくなったので、エレベーター付きの本堂を造ろうとしていたら、ああいう崩壊事故がおきたのです。高齢者が丘をのぼるのはきつい時代になりました。」
「そうでしたか。丘の上にある墓参りがきつくなって、もう墓参りはやめようかという人も知っています。そういう時代になりました。」
岩瀬不動尊には、開基堂がある。役行者(えんのぎょうじゃ)を奉っている。この寺は、おおもとは役行者が開基したものである。
開基堂。↓
この寺の背後は普和山という。修験場であった。
修験者の修行するところといえば、今風にいえば、パワースポットである。なんらかの霊力を感じる場所が修験場になる。しかし、普和山は標高は低い、奇岩もない、滝も落ちていない。
どうしてここが修験場だったのか? 疑問が起きるところである。
背後の普和山にのぼる。東京湾の海を見下ろせる。霊力を感じたとしたら、この光景のためだったのだろう。
神奈川から房総半島へ行くのは大変だ。アクアラインが開通する以前はフェリーを利用しなければならなかった。
今回は、高速バスで、横浜駅バスターミナル(YCAT)から木更津駅まで行き、木更津駅から内房線で大貫駅でおりた。大貫駅は木更津駅からは3つめの駅だが、時間はかかる。駅ごとに、2分待ち、5分待ちをする。単線区間だからである。
大貫駅でおりて、岩瀬不動尊までは徒歩で20分かかる。以前参拝したときの記憶はまったく役に立たなかった。記憶はウソをつく。そのことを改めて知った。
岩瀬不動尊は塀のないお寺である。
着いたのがちょうど昼食時だった。普通なら、庫裏があるので、昼食時でもかまわないのだが、あいにくと庫裏は新築中である。仮設の納経所は無人だった。
この庫裏は木造である。都市部では認められないものである。ここが都市部ではないという証明になる。
住職さんが来るまで、寺を一巡する。階段をあがり、観音堂へ行く。
ご覧の有様で、背後の丘が崩れてしまった。
上にのぼる。上から見下ろすと、こういう様子だった。 ↓
あとで、住職さんの話をきくと、大震災の時から地盤が緩んでおかしくなっていた。それが大雪で崩落したという。大きな桜の木があったが、それが倒れたという。
観音堂は無事だったので、いずれ修理はするが、今は庫裏を新築する方が優先です、という話。
死者が出た成田山横浜別院の崩落の話になった。
「あれは結構無理な工事をしていたように思えます。」と私。
「信者の人が高齢化して、丘の上にのぼるのがきつくなったので、エレベーター付きの本堂を造ろうとしていたら、ああいう崩壊事故がおきたのです。高齢者が丘をのぼるのはきつい時代になりました。」
「そうでしたか。丘の上にある墓参りがきつくなって、もう墓参りはやめようかという人も知っています。そういう時代になりました。」
岩瀬不動尊には、開基堂がある。役行者(えんのぎょうじゃ)を奉っている。この寺は、おおもとは役行者が開基したものである。
開基堂。↓
この寺の背後は普和山という。修験場であった。
修験者の修行するところといえば、今風にいえば、パワースポットである。なんらかの霊力を感じる場所が修験場になる。しかし、普和山は標高は低い、奇岩もない、滝も落ちていない。
どうしてここが修験場だったのか? 疑問が起きるところである。
背後の普和山にのぼる。東京湾の海を見下ろせる。霊力を感じたとしたら、この光景のためだったのだろう。
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