SSブログ

内田光子=マーラー室内管弦楽団演奏会 見聞記 [音楽]

6日前から腰痛で、演奏会に行くかどうか迷った。〇万円のチケットを無駄にするのは惜しい。ケチ根性が優って、サントリーホールへ出かけた。

高齢になると、当日の身体状況に左右されることが多く、キャンセルばかりすると、外出は控えたくなる。こうやって、段々とコンサートや旅行から遠のいて行く。

サントリーホールに着いたのが18時35分である。開場から時間もたっているので楽に入れると思ったが、行列ができていた。近づくと、手荷物検査があるという。簡単な検査を受けたが、警察犬を連れた警察官も立っている物々しさである。

なんだ、これ? イスラエル・フィルの公演が中止になったし、テロ対策なのかと思った。パレスチナはひどいことになっている。

2階席で演奏を聴いた。サントリーホールの中を見る。これが最後かもしれない。随分お世話になりました。最近は、これが見納めと思うことが多い。

プログラムは、前半が①モーツァルトのピアノ協奏曲25番と②シェーンベルク室内交響曲第1番。後半がモーツァルトのピアノ協奏曲27番。

25番の冒頭の音を聞いたとき違和感を感じた。音が違う。ピリオド楽器で演奏したのだ。次がシェーンベルクだったのでモダン楽器で演奏するものとばかり思っていた。

話は飛ぶが、腰痛で唸っていたとき、モーツァルトの後期のピアノ協奏曲を(20番~27番)をきいた。いつもと違うモーツァルトを聴いた気がした。巨大で、不気味な曲に聞こえたのだ。モーツアルトの悪魔のささやきを感得した気がした。

内田光子の演奏には、悪魔のささやきがなかった。昔懐かしい心優しいモーツァルトだった。

シェーンベルク室内交響曲第1番については、感想を控える。我慢会だった。演奏会前には、外で休もうかと考えていたが、ステージは入れ替え時間があったが、モーツァルトに続けて演奏された。

弦楽5人、管楽10人の編成だった。管に、昔でいうところの小さい人がいたのが印象に残る。現代の平等主義はステージにまで及んでいる。

シェーンベルクは聞くのがツラかった。ともかく、高音が不快である。高齢になると高音が聞こえなくなる。あるいは、聞こえても刺激的な耳をつんざくような音に聞こえる。

なんで、モーツァルトとシェーンベルクを組み合わせるのか、理由が分らない。

後半が始まる前に、ホール内が騒がしくなった。上皇陛下ご夫妻が入場されたのだ。ああ、これで手荷物検査があったのかと納得した。

27番は限りなく美しかった。演奏後の拍手も大きく、段々と立つ人が多くなり、最後は全員スタンディング・オベーションになった。負担はおとなしい人だろうが、上皇陛下ご夫妻がいると、パフォーマンスも派手になった。

サントリーホールを出ると、近隣の高層ビルばかりで目につく。なんで、こんなに高層ビルばかり建てるのだろう? いつまで保つのかと危ぶむ。

建物は巨大になり、人間は小さくなった。

共通テーマ:日記・雑感