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杉並公会堂へ [雑感]

2022/03/08 火曜日。杉並公会堂まで行く。大植英次=日本フィルの演奏会があったからである。

体力低下で、外出するのも容易ではない。特に寒ければ。この日は、最高気温が7度だった。

演奏会を楽しむシニアが多いが、徐々に人数は減ってきている。ホールに行くまでの距離の長さが負担だ。たとえ演奏会場に着いたとしても、体調が悪ければ音楽を楽しむどころの話ではなくなる。演奏を聴いている内に体調が悪化することもありえる。食事の直後は危ないので、食事も食べないか、軽くするか、どちらかである。こうまでして、演奏会に出かける必要があるのかというと、段々と収支が合わなくなる気がする。そのうちに諦める。自分もそろそろ諦め時だが、既にチケットを買い込んでいる。3月、4月中は行く予定である。

車椅子できいている人も見かけるが、そうまでしても聞きたいのかと思う。体力が落ちれば、聞こえる音楽も変ってしまう。

高齢になれば、聴覚が落ちる。いつも不思議に思うことは、音楽家も聴力がおちているはずなのに、きちんと演奏していることだ。

杉並公会堂は狭い。舞台との距離が短く感じられた。平日の昼間(14時~16時)の演奏会なので観客は専業主婦かシニアである。客席は半分以下しか埋まっていなかった。

大植英次は出っ腹で、足取りがおぼつかない。指揮台でも背もたれに寄りかかっていることが多く、棒の振り方は小さい。時々、細かい指示を出していた。テンポは遅めで、感動的な部分とかったるさを感じる部分が混在していた。遅いなら遅いで、もう少し演奏の練り方があるだろうと思う。

プログラムは、「ルスランとリュドミラ」序曲、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」交響曲第5番だった。アンコールはチャイコフスキーの「弦楽セレナード」よりワルツ。

今年になってから、神奈川フィル、東京交響楽団、新日本フィル、日本フィルの演奏会を聞いたが、オケの違いが分からない。同じような音を出す。何か、響きが薄いような気がするが、自分の聴覚の衰えもあるだろう。段々と音が平板に聞こえるようになったようだ。

演奏会が終わると、すぐ帰宅である。寄り道は一切しない。疲れるからだ。それでも、翌日は午後まで身体に痛みを感じた。去年より一段と体力が落ちた。今年の冬は厳しかった。