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読響 定期演奏会 [音楽]

読売日本交響楽団第571回定期演奏会を東京芸術劇場コンサートホールで聴く。

指揮:ヤツェク・カスプシク
ヴァイオリン:ギドン・クレーメル

プログラム。

①ヴァインベルク ヴァイオリン協奏曲

②ショスタコーヴィチ交響曲第4番

ギドン・クレーメルについてはデビュー当時の演奏を聴いて、硬質な音楽作りに違和感を覚えたので、以後全然聴いていない。

クレーメルも今年は70歳で、私も先がおぼつかない。一度聴いておこうという気になった。

曲目のモイセイ・ヴァインベルク(1919~1996)は日本初演である。全然知らない作曲家である。ポーランド生まれのユダヤ人で、第二次世界大戦中のドイツ軍の侵攻時及びスターリン治世末期の反ユダヤ政策で、二度生命の危機を体験した。

多作の作曲家で、7作の歌劇、22の交響曲、17曲の弦楽四重奏曲、その他が作曲されたが、1980年代以降忘れられた。それをクレーメルが蘇演した、ということらしい。

ショスタコーヴィチとの組み合わせてのプログラムだが、ヴァイベルクはショスタコーヴィチの友人である。ショスタコーヴィチの評伝を読むと、ヴァイベルクの名前は頻繁に登場する。

1964年、ヴァイベルクは既に9曲の弦楽四重奏曲を作曲していたが、ショスタコーヴィチはそれを超える弦楽四重奏曲を作曲する目標を立て、第10番の弦楽四重奏曲を作曲して、この曲をヴァイベルクに献呈している。二人の親密な関係が分かる。

ヴァイベルクのヴァイオリン協奏曲はソ連時代の作品であるから、”現代音楽”らしくないが、しかし、格別の魅力にも乏しい。クレーメルのヴァイオリンは一弓入魂型で、聴いていて疲れた。

アンコールは同じヴァイベルクの「24のプレリュード」より、第4番と第21番だった。

ショスタコーヴィチ交響曲第4番は、「どこがマズかったのか?」ということがまず気になる。スターリンの大粛清の時代に「プラウダ」で批判された。その時に作曲されたのがこの曲で、初演寸前に撤回を要請した。

当局の批判を招く部分があったと感じたからだろうが、どの部分だったのか。第3楽章の練習途中で、楽団員が抵抗し始めたという証言がある。

演奏を聴いていると、第3楽章は途中まで素晴らしい盛り上がりを見せるが、急に気勢をそがれるようなメロディーになり、トランペットの独奏はジャズっぽいとも思える。そのあとまた盛り上がり、反転して静かに消えるように終わる。

普通に聴いていれば、さして気になるほどでもないが、大粛清時代の異様な雰囲気で、極度に神経質になっていたのだろう。大粛清の時代に限らず、細かいことに社会の注意が極度に向くということは起こりがちである。現代もそうかもしれない。

最後は、楽団員は彫像のように動かず凍り付いていた。それが長く続いた。音は出ていなかったと思う。この曲はこういう終わり方をするのだろうか? 指揮者が完全に棒を下ろすまでは拍手できなかった。

マーラー、リヒャルト・シュトラウスに匹敵する大規模編成、大音響の交響曲で、ティンパニの響きは暴力的である。

自分の演奏批評は、原始的である。体が熱くなれば、いい演奏。もう一度聴きたくなれば大成功。もう一度ショスタコーヴィチ交響曲第4番を聴きたくなったのだから、これはいい演奏会だったのだ。


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