奥尻島 青苗岬 [雑感]
奥尻島・青苗岬へ行く。奥尻島というと、観光地と言うよりも、地震による被害で覚えている。
青苗岬は地震・津波による被害が最も大きかった地区である。奥尻島の南端である。
奥尻島に大きな被害を与えた北海道南西沖地震が起きたのは1993年7月12日である。今月の12日でちょうど25年が過ぎたばかりである。
この地震の記憶は印象度が弱まった。1995年に阪神淡路大震災、2011年に東日本大震災が起きたからである。特に2011年の東日本大震災の大津波による被害が大きかったため、奥尻島の津波被害は忘れられつつある。
青苗岬の復興は終わっていた。人家は高台に移動した。
今の青苗地区はこの通り。
被害者を鎮魂する時空翔のモニュメントがある。
津波資料館。
復興計画は終了したが、何か、むなしさがつきまとう。奥尻島の人口は減少しつつある。地震時には約4700人だったが、現在は2800人程度。住人の戻らない復興計画とは何か? これは東北の三陸地方にも言える。
青苗岬から宿泊する緑館まで。
途中、奇岩がある。これはナニかに似ています。
緑館は北追岬近くにある。奥尻港とは神威山(標高584メートル)を間に反対側にある。ここは温泉が出る。島で唯一のまともなホテルで、あとは民宿である。
北追岬。遊歩道があるが歩かなかった。
ホテルの周辺にはワイナリーのほかにナニもない。
「ナニもないなぁ」といったら、バスガイドが「ナニかあると言いましたか」と言い返された。そういう場所です。
緑館は温泉がある。南西沖地震が起きたことでも分かるとおり、ここは火山帯がある。ここの火山帯は、鳥海山火山帯に属する。
北海道西部の昭和新山の火山帯は那須火山帯に属する。火山帯が異なる。
緑館の内部はそこそこ。安心して眠れる。ただメンテナンスが行き届いていないところもあり、室内プールは荒れていて使用不可能である。地方へ行くと、こういう温泉が目につく。
青苗岬は地震・津波による被害が最も大きかった地区である。奥尻島の南端である。
奥尻島に大きな被害を与えた北海道南西沖地震が起きたのは1993年7月12日である。今月の12日でちょうど25年が過ぎたばかりである。
この地震の記憶は印象度が弱まった。1995年に阪神淡路大震災、2011年に東日本大震災が起きたからである。特に2011年の東日本大震災の大津波による被害が大きかったため、奥尻島の津波被害は忘れられつつある。
青苗岬の復興は終わっていた。人家は高台に移動した。
今の青苗地区はこの通り。
被害者を鎮魂する時空翔のモニュメントがある。
津波資料館。
復興計画は終了したが、何か、むなしさがつきまとう。奥尻島の人口は減少しつつある。地震時には約4700人だったが、現在は2800人程度。住人の戻らない復興計画とは何か? これは東北の三陸地方にも言える。
青苗岬から宿泊する緑館まで。
途中、奇岩がある。これはナニかに似ています。
緑館は北追岬近くにある。奥尻港とは神威山(標高584メートル)を間に反対側にある。ここは温泉が出る。島で唯一のまともなホテルで、あとは民宿である。
北追岬。遊歩道があるが歩かなかった。
ホテルの周辺にはワイナリーのほかにナニもない。
「ナニもないなぁ」といったら、バスガイドが「ナニかあると言いましたか」と言い返された。そういう場所です。
緑館は温泉がある。南西沖地震が起きたことでも分かるとおり、ここは火山帯がある。ここの火山帯は、鳥海山火山帯に属する。
北海道西部の昭和新山の火山帯は那須火山帯に属する。火山帯が異なる。
緑館の内部はそこそこ。安心して眠れる。ただメンテナンスが行き届いていないところもあり、室内プールは荒れていて使用不可能である。地方へ行くと、こういう温泉が目につく。
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