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2016.09.18 二期会「トリスタンとイゾルデ」 [雑感]

2016年9月18日。14時~19時。東京文化会館。二期会の「トリスタンとイゾルデ」(ワーグナー)を聞く。

指揮:ヘスス・ロペス=コボス。管弦楽:読売日本交響楽団。演出:ヴィリー・デッカー(ライプツィヒ歌劇場との提携公演で、その演出を日本に持ってきた。)

主な出演歌手 (トリスタン)ブライアン・レジスター (イゾルデ)横山恵子 (マルケ王)清水那湯太 (クルヴェナール)大沼徹 (ブランゲーネ)加納悦子 (メロート)今尾滋

とにもかくにもワーグナーです。自慢じゃないけど、一回もワーグナーのオペラ(楽劇)をまともに聞いたことがない。CDは管弦楽曲だけでおしまい。予習を兼ねて「トリスタンとイゾルデ」のCDを聞き始めたが、ウルサイだけで20分程度でやめてしまった。

最後まできちんと聞けるのかと心配だったが、居眠りすることもなく、全3幕を聞きとおした。

ワーグナーというと、重たい、長い、シンドイ。こういう先入観がある。今回の公演では予想したような躓きはなかったが、別の個所で引っかかってしまった。これだから実際に聞いてみないとわからない。

「トリスタンとイゾルデ」については中学生時代の思い出があり、ワーグナーのオペラ(楽劇)の中で最も聞きたいものだった。

中学生の時に、ハリウッド映画の「わが愛に終わりなし」が上映された。メトロポリタン歌劇場のプリマドンナだったマージョリー・ローレンスの伝記映画で、クライマックスにこの楽劇の「イゾルデ愛の死」が使われた。当時は血がたぎっていたから、うなされる様な感動を覚えた。

「わが愛に終わりなし」を見たのは渋谷の東急文化会館にあった東急名画座である。感動が大きかったので3回か4回見に行った。学校から帰ると、食事を済ませ、新丸子(当時は東横線の新丸子に住んでいた。)から渋谷へ行き、最終回の上映を見た。夜毎に映画館通いをしたわけだが、母は映画を見ることには寛容で、何も言わなかった。

その後、LPレコードを買えるようになってからワーグナーの管弦楽曲集を買った。トスカニーニ=NBC響の演奏だった。いつごろまで聞いたのかは覚えていない。就職して仕事に追われるようになると、自然とクラシックから遠のいた。

以上の思い出があるから「トリスタンとイゾルデ」を聞こうと思い立ったのだ。昔の思い出の復活である。

ヘスス・ロペス=コボスはラテン系の指揮者だから、重厚さとは無縁でメリハリが効いていた。これが最後まで聞けた理由かもしれない。終幕の盛り上げ方は優れていた。

歌手はボリューム感がないかもしれないと危惧していたが、杞憂だった。トリスタンを歌ったのは世界的なワーグナー・テノールのブライアン・レジスターだが、日本人歌手の声量も劣るところがなく、これには感心した。ともかく歌手は声量がなくてはどうにもならない。

第1幕が始まって30分ほどは面白いところがない。そもそもストーリーが理解しにくい。この楽劇は劇の途中から始まっている。30分ぐらいたつと、ステージの展開に乗れるようになった。第1幕はトリスタンの出番が少ない。第3幕は逆にイゾルデの出番が少ない。

第2幕は延々と「愛の二重唱」が続く。この楽劇のヘソは第2幕なのだろう。通常の演出ではトリスタンが重傷を負って第2幕が終了するらしいが、今回のヴィリー・デッカー演出ではイゾルデも自死を試みて幕が下りる。

第3幕には躓いた。重傷を負ったトリスタンの独唱が続くが、内容が理解しにくい。ワーグナー哲学とでもいうのか。昼の世界と夜の世界を対比している(ようだ)が、途中で理解するのを諦めた。最後は主要登場人物がバタバタと死に、シェイクスピアの悲劇を思い起こした。

三枝成彰のいうことには、オペラの傑作と凡作の分かれ目は、いかに登場人物が美しく悲しく死ぬか、という点にあるのだそうである。その視点からいっても、この楽劇は申し分がない。



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