大山 賽の河原・金門 [旅行]
12月8日。大山の大神山神社奥宮を参拝し、参道を下る。
途中、賽の河原の案内板を見る。賽の河原におりてみる。
賽の河原というと寂しいイメージが起きる。12月のこの季節なら、なおさらだ。上流に山裾が見える。これが大山(だいせん)だと早合点した。実際は異なる。帰りのバスを待つ時間に大山情報館の人に説明してもらった。
賽の河原の先には金門があり、流れはここを通る。
再び大神山神社奥宮の参道に戻る。
一の鳥居の前に巨石に生えた杉の巨木を見る。
「暗夜行路」の碑があった。
志賀直哉が宿泊した旅館はもう存在しない。
阿弥陀堂へ行くべく、大山町の旅館街をくだる。すると、下からランドセルを背負った小さな男の子が歩いてきた。
小学生だな、どこの小学校に通うのだろう? 声をかけてみる。麓の小学校へバスで通学していると答えた。たくさんの人に訊かれているのだろう。答え方は慣れていた。
あとで夕刻に、セーラー服姿の女子を二人見る。最初は観光客かと思ったが、家に帰る途中だと気がついた。こういう場所に育てば、通学も大変だ。
こういうところで育ったら東京には住みたくないだろう。地方へ行くと、東京には住みたくないという人もかなりいるのである。
途中、賽の河原の案内板を見る。賽の河原におりてみる。
賽の河原というと寂しいイメージが起きる。12月のこの季節なら、なおさらだ。上流に山裾が見える。これが大山(だいせん)だと早合点した。実際は異なる。帰りのバスを待つ時間に大山情報館の人に説明してもらった。
賽の河原の先には金門があり、流れはここを通る。
再び大神山神社奥宮の参道に戻る。
一の鳥居の前に巨石に生えた杉の巨木を見る。
「暗夜行路」の碑があった。
志賀直哉が宿泊した旅館はもう存在しない。
阿弥陀堂へ行くべく、大山町の旅館街をくだる。すると、下からランドセルを背負った小さな男の子が歩いてきた。
小学生だな、どこの小学校に通うのだろう? 声をかけてみる。麓の小学校へバスで通学していると答えた。たくさんの人に訊かれているのだろう。答え方は慣れていた。
あとで夕刻に、セーラー服姿の女子を二人見る。最初は観光客かと思ったが、家に帰る途中だと気がついた。こういう場所に育てば、通学も大変だ。
こういうところで育ったら東京には住みたくないだろう。地方へ行くと、東京には住みたくないという人もかなりいるのである。
タグ:賽の河原 金門
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