根羽村 [旅行]
2015.6.15日 根羽村へ行く。根羽村は長野県の最南端にあり、愛知県との県境にある。
なぜ根羽村へ行ったのか? 50年前にこの村に宿泊したことがあるからだ。当時、学生村という制度があった。夏の暑い期間を涼しい長野県の村で過ごそうという趣旨だった。
いくらで宿泊できたのか、まったく忘れてしまったが、私が宿泊したのが根羽村だった。当時は団塊の世代が受験期であったから、利用する学生が少なくなかった。もちろん、少子化と共に学生村という制度はなくなった。
当時は飯田駅から根羽村への直通バスがあった。帰りは名古屋駅に行ったことを覚えている。
根羽村も過疎化が進行し、直通バスを運行することができなくなった。人口は、今年は981人である。1000人を割ってしまった。
飯田駅からバスで駒場BTまで行き、駒場からコミュニティバスで根羽村へ行った。コミュニティバスも一日4本しかない。主に通学に使われる。
根羽村までは200円。これを空き缶に入れた。料金の収納箱がない。
駒場を出ると、一路、山の中に入る。根羽村までは43分かかるが、緑に覆われた山の中の道をひたすら走る。途中、人家はほとんど見かけない。浪合だけが集落と呼べる程度の大きさだ。
根羽村へ着く。
第一印象は、こんなに狭いところだったのかというと。まさに谷間の村である。
宿泊した家は緩やかな坂道の途中にあったこと。川の周辺を散策したこと。
緩やかな坂はわかった。
こんなものだったのかと、記憶のはかなさを感じた。高齢になると、過去の記憶はあやふやである。何が現実にあったことか、夢と現の区別がつかなくなる。
記憶は、改変されてしまう。私の過去といっても、自分の想念・情念が作り出した幻である。今では、自分の過去とはいいながら、根も葉もある嘘八百と思っている。
自分史を書くことができる人の存在が不思議である。
なぜ根羽村へ行ったのか? 50年前にこの村に宿泊したことがあるからだ。当時、学生村という制度があった。夏の暑い期間を涼しい長野県の村で過ごそうという趣旨だった。
いくらで宿泊できたのか、まったく忘れてしまったが、私が宿泊したのが根羽村だった。当時は団塊の世代が受験期であったから、利用する学生が少なくなかった。もちろん、少子化と共に学生村という制度はなくなった。
当時は飯田駅から根羽村への直通バスがあった。帰りは名古屋駅に行ったことを覚えている。
根羽村も過疎化が進行し、直通バスを運行することができなくなった。人口は、今年は981人である。1000人を割ってしまった。
飯田駅からバスで駒場BTまで行き、駒場からコミュニティバスで根羽村へ行った。コミュニティバスも一日4本しかない。主に通学に使われる。
根羽村までは200円。これを空き缶に入れた。料金の収納箱がない。
駒場を出ると、一路、山の中に入る。根羽村までは43分かかるが、緑に覆われた山の中の道をひたすら走る。途中、人家はほとんど見かけない。浪合だけが集落と呼べる程度の大きさだ。
根羽村へ着く。
第一印象は、こんなに狭いところだったのかというと。まさに谷間の村である。
宿泊した家は緩やかな坂道の途中にあったこと。川の周辺を散策したこと。
緩やかな坂はわかった。
こんなものだったのかと、記憶のはかなさを感じた。高齢になると、過去の記憶はあやふやである。何が現実にあったことか、夢と現の区別がつかなくなる。
記憶は、改変されてしまう。私の過去といっても、自分の想念・情念が作り出した幻である。今では、自分の過去とはいいながら、根も葉もある嘘八百と思っている。
自分史を書くことができる人の存在が不思議である。
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