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「断腸亭日乗」/満州事変 [雑感]

満州事変は、日本が軍国主義国になったきっかけと言われている。この結果、日本は満州帝国を建国したからだ。その後の歴史を考えると、これは正しい。しかし、当時の日本人はそのように思わなかった。満州事変に対する熱狂は大変なものがあった。

1930年頃は軍人は制服を着て外を歩けないというほどの反軍思想が強かった。ところが、1931年9月の満州事変に対しては国民が熱狂的に支持した。わずか2年で社会風潮は一変した。この間に何が起きたのかは知らない。その時代を生きてみなければ分からないことがある。ただ世論は急激に変わることがある、ということである。

永井荷風の「断腸亭日乗」には直接的な満州事変に対する記述はない。9月25日に欄外朱書で「満州戦争開始」と書かれている。

<1931年11月10日。>陸軍将校の一団のクーデタの噂があると書かれている。「今秋満州事変起りて以来かくの如き不穏の風説いたるところ盛なり。真相の如何は固より知がたし、然れどもつらつら思うに、今日わが国政党政治の腐敗を一掃し、社会の気運を新たにするものはけだし武断政治をおきて他に道なし。今の世において武断専制の政治は永続すべきものにあらず。されど旧弊を一掃し人心を覚醒せしむるには大に効果あるべし。」

永井荷風というと反軍思想の持ち主と思っていたが、ここでは軍政を認めている。当時の国会が腐敗していて、国民から信頼されていなかったことが分かる。

<1932年2月11日。>「去秋満州事変起りてより世間の風潮再び軍国主義の臭味を帯ぶること益々甚しくなれるが如し。道路の言を聞くに去秋満蒙事件世界の問題となりし時東京朝日新聞社の報道に関して先鞭を『日々新聞』につけられしを憤り営業上の対抗策として軍国主義の鼓吹に甚だ冷淡なる態度を示しいたりし処、陸軍省にては大いにこれを悪み、全国在郷軍人に命じて『朝日新聞』の購読を禁止し、また資本家と相謀り暗に同社の財源をおびやかしたり。これがため同社は陸軍部内の有力者を星ヶ丘の旗亭に招飲して謝罪をなし、出征軍人慰問義捐金として金拾万円を寄付し、翌日より記事を一変して軍閥謳歌をなすに至
りし事ありという。」

11月10日の日記から3ヶ月たって、永井荷風は軍国主義に警戒感を持つようになったらしい。朝日新聞に関しては、陸軍の不買運動に負けたと言うことである。戦後の朝日新聞の一貫した反軍論調は、この時のトラウマのためと見受けられる。

<1932年4月9日。> 「しかしてこの度の戦争の人気を呼び集めたることは征露の役よりもかへって盛なるが如し。軍隊の凱旋の迎る有様などは宛然祭礼の賑わいに異ならず。今や日本全国挙って戦捷の光栄に酔へるが如し。」

いかに日本国民が満州事変に熱狂したかを示す記述である。

私は戦後教育を受けた者であるから、満州事変を軍部独走という批判的観点から受け入れていた。それにつき疑問を持ち始めたのは双葉十三郎の「日本映画批判」を読んでからである。この中に満州事変当時の映画の批評があり、満州事変ものというと、粗雑な作品が多いのに舞台でも映画でもバカあたりしたという箇所があった。

ああ、そうだったのか、1930年代を暗黒の時代というのは誤りかもしれないと思うようになった。

なぜ戦前を暗黒の時代と考えるのか。簡単である。

戦後は戦前の否定から始まったからである。新しい時代は前の時代を否定して始まるからである。

もうそろそろこの呪縛から自由になってもいいだろう。




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