香嵐渓 [旅行]
2004年秋。東海の紅葉の名所・香嵐渓へ行く。
なんと、東京から日帰りだった。朝7時に浜松町を出発し、香嵐渓へ着いたのが11時35分。15時まで香嵐渓にいて、15時に東京へと戻ったのだった。
今じゃ、こんなことは無理である。運転手の労働時間規制が厳しくなっているからだ。来年(2024年)からは、なおさら厳しくなる。日帰り旅行ができる範囲は狭くなるね。
運転手が高齢化しているし、労働時間規制は厳しくなるし、通販でモノがきちんと届くのかと危ぶんでいる。最終的には外国人運転手を雇うのだろう、と予想している。
東京から4時間半かけて着いた香嵐渓だったが、まだ時期が早すぎた。
香嵐渓の紅葉は、1634年から始まる。当時の香積寺の住職・参栄和尚が般若心経を一巻唱えるごとに、巴川沿いにモミジを植えたのだ。
その後、大正時代に、村人が飯盛山に多くのカエデを植えた。
昭和30年(1955年)頃から観光客が紅葉見物に訪れるようになった。戦後の生活が落ち着きを取り戻したことが窺える。今では、東海随一の紅葉の名所とされている。
なんと、東京から日帰りだった。朝7時に浜松町を出発し、香嵐渓へ着いたのが11時35分。15時まで香嵐渓にいて、15時に東京へと戻ったのだった。
今じゃ、こんなことは無理である。運転手の労働時間規制が厳しくなっているからだ。来年(2024年)からは、なおさら厳しくなる。日帰り旅行ができる範囲は狭くなるね。
運転手が高齢化しているし、労働時間規制は厳しくなるし、通販でモノがきちんと届くのかと危ぶんでいる。最終的には外国人運転手を雇うのだろう、と予想している。
東京から4時間半かけて着いた香嵐渓だったが、まだ時期が早すぎた。
香嵐渓の紅葉は、1634年から始まる。当時の香積寺の住職・参栄和尚が般若心経を一巻唱えるごとに、巴川沿いにモミジを植えたのだ。
その後、大正時代に、村人が飯盛山に多くのカエデを植えた。
昭和30年(1955年)頃から観光客が紅葉見物に訪れるようになった。戦後の生活が落ち着きを取り戻したことが窺える。今では、東海随一の紅葉の名所とされている。
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