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AV「神崎詩織 素人男性19人ハメまくり大乱交ツアー」 [雑感]

神崎詩織はAVデビューしたとき気に入った。まず母親に顔が似ている。オレはマザコンらしい。体型もふっくらとして肉付きがいい。脂ののった柔らかい体に魅せられる。お尻もまん丸で思わずよだれが出そうになったものだ。

数本の出演AVを見た。数本見れば十分でしょ。やっていることは同じだから。デビュー当時は神のごとき美少女だったが、体型管理が甘いのか、性格なのか、やがて太りだし腹が出てきた。これでは失格だ。おまけにお尻も吹き出物がいっぱい出来て、まともに見られないようになった。

こうなると出演作品のレベルも落ちて、SMの緊縛ものとか、黒人相手に出演させられて消耗品扱いになった。だいたいAV女優の旬の季節は短く、だいたい1年だね。その後はひどい企画が多くなって墜ちていく。

この素人男性相手の大乱交は究極的な企画だ。まともな感覚なら出演しないところだ。所属メーカーの最後の作品だったのではないか。このあとに移籍した。中古女優専門みたいなメーカーだね。こういう時が引退する絶好の機会だが、そのまま女優業を続ける。2018年現在でもまだ現役だからAV女優としては頗る長寿である。衝撃の美少女は既にお姉さん系となっている。もう少し立てば熟女である。AV界の水が合っているのか、もう止められないだろう。

素人男性19人だから、まず面接から始める。いい男ばかりではつまらないから、ひどい男も多い。こういうのを相手にするのかね、と思ってしまう。いくら出演料を貰ったか知らないが、並の売春婦でもやらんだろう。お金に困っていれば別だが。

神崎詩織はダイエットに励んだのか、体型はまたふっくらとしたいい体に戻っていた。お尻はまだ少し吹き出物が残っている。

愛想よく、笑顔で話しているが、19人の男の前で衣服を脱がされるときは顔が強張っていた。緊張したんだろう。あとはかなり平常心を取り戻しているように見えた。

素人全員としたかどうかは分からない。夜這いの場面で1対1でのセックスするところがあるが、相手の男はプロだと思う。そのほかは男の顔が映っていないのもある。編集に苦労したようである。プロも手助けをしたのだろう。

いくらあこがれの女優とはいえ、カメラの前で”起つ”のは素人にはなかなか難しい。平気でできる奴もいることはいるが。

こういうのを見ると、昔のストリップ劇場の本生を思い出すね。舞台で平気でセックスしていたのだから、今では信じられない光景だった。

こういう企画は落ち目の女優が出演するのだとばかり思っていたら、売れっ子の三上悠亜も最近素人相手の乱交ものに出演したね。どうなっているのかと思うよ。

(終り)
















ワーグナーの楽劇「神々の黄昏」をみる。

日時:2017年10月11日
場所:新国立劇場オペラハウス

指揮:飯守泰次郎
管弦楽:読売日本交響楽団

ジークフリート ステファン・グールド
ブリュンヒルデ ペトラ・ラング
グンター アントン・ケレミチェフ
ハーゲン アルベルト・ペーゼンドルファー
グートルーネ 安藤赴美子
アルベリヒ 島村武男
ヴァルトラウテ ヴァルトラウト・マイヤー


第3幕の最後、ヴァルハラの城が崩れるが、舞台がひっくり返ったように錯覚した。気のせいだろう。14時に始まり、20時に終了。途中の休憩が80分だった。長丁場だが、時間の長さを感じなかった。

外国人歌手は体が大きく、安藤扶美子など見た目は外国人歌手の3分の1ぐらいの大きさにしか見えない。これでワーグナーが歌えるのかと心もとなかった。きちんと声を出していた。

ステファン・グールドとペトラ・ラングは安定していた。「音楽の友」のインタビューを読むと、グールドがワーグナーを歌うようになったのは37歳からで、いい教師に巡り会ったからだと述べている。遅咲きである。ペトラ・ラングも遅く、早くからブリュンヒルデを歌った歌手は高音を失いやすいと言っている。ワーグナーを歌うことは過酷な作業であるらしい。

ステファン・グールドはウィーン国立歌劇場の「ナクソス島のアリアドネ」に出演した。その声量に圧倒されたが、今回は圧倒されることはなかった。東京文化会館と新国立劇場の違いなのか。

ワーグナーの楽劇をきくと、歌っているというよりも、唸っている、吠えていると感じる。慣れると何でもないが、これは浪曲と同じように聞こえる。

高尚趣味は脇に置いて、ドイツの浪曲と思って聞けば何でもない。寄席で浪曲を聞いているような気分である。ストーリーはファンタジーのようである。各種の動機は何度も聞いているうちに親しみが起きてくる。「リング」の場合は、動機を覚えるのが先らしい。

また、ワーグナーをききたくなる。来年の春は二期会の「ワルキューレ」と「ローエングリン」、N響は「ローエングリン」である。

「神々の黄昏」を見終えると、「リング」の主役はブリュンヒルデなのかという思いがする。ブリュンヒルデの登場しない「ラインの黄金」は序夜と名付けられている。

ゲッツ・フリードリッヒの演出は古いもの。(2000年に死んでいる。)歌の邪魔をしていないから助かる。最近の演出は頭デッカチで、まともに舞台を見ない方がいいというものがある。新国立劇場は予算削減で古い演出を採用するしかない、ということもあるらしい。



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