2016.7.4 サントリーホール 再び「千人の交響曲」 [雑感]
2016年7月4日。サントリーホールでマーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」を聞く。
指揮はダニエル・ハーディング。新日本フィルハーモニー交響楽団。
独唱。ソプラノ:エミリー・マギー、ユリアーネ・バンゼ、市原愛
アルト:加納悦子、中島郁子
テノール:サイモン・オニール
バリトン:ミヒャエル・ナジ
バス:シェンヤン
合唱。栗友会合唱団。合唱指揮:栗山文昭
児童合唱。東京少年少女合唱隊 合唱指揮:長谷川久恵
マーラーの交響曲第8番は「千人の交響曲」と呼ばれている。マーラーが1910年に初演した時、ステージに1030人のメンバーがいたからである。
今回の演奏ではメンバーは400人程度だったと思う。(勘定したわけではないので正確な数はわからない。)サントリーホールの座席数は約2000人である。コンサートホールとしては標準だが、このホールで千人が演奏できるとは思えない。
マーラーが初演した時の会場を知りたくなり調べてみると、ミュンヘン博覧会の新祝祭音楽堂で、現在は、ドイツ博物館の交通館第一展示場になっている。いわゆる交通博物館である。これなら千人のメンバーが演奏できたのだろう。初演時の聴衆は3千人だった。
日本で千人のメンバーで演奏するとなると、日本武道館ということになるだろうか。あるいは(横浜)アリーナ・クラスだろう。
ダニエル・ハーディングは新日本フィルのミュージック・パートナーであったが、今年の秋にからパリ管弦楽団の音楽監督に就任する。ということで、ミュージック・パートナーとしては最後の公演で、演奏終了後にお別れの挨拶があった。
最初の公演が2011年3月11日だったそうで、あの東日本大震災の日にマーラーの交響曲第5番を演奏したとは……。余震が頻繁で、私など11日の夜はいつでも逃げ出せるように平服で寝たことを覚えている。
どの程度の観客が集まったものか? 余震がある中、どういう演奏をしたのだろうか?
さて、マーラーの第8交響曲は7月2日にすみだトリフォニ―ホールで聞いている。メンバーは同じである。2日の演奏はともかく「千人の交響曲」ということで好奇心が起きたものだが、2回目となると、この曲がどういう交響曲であるのか、ということに注目が行く。
この第8交響曲は二部構成で、第一部は讃歌である。歌詞はラテン語。内容は三位一体説に基づく。三位一体説が理解できないので、歌詞は正直なところチンプンカンプン。教会音楽が好きな人には親しめるだろうが、宗教曲の素養がないので、やはり縁遠い曲だった。
第二部はゲーテの「ファウスト」の終結部で、歌詞はドイツ語。当初のマーラーの構想は全4楽章だったのだそうで、第二部はアダージョで始まる。次いで、アレグロ。ここまでは、まぁまぁ。
次にテンポがまた落ちて、アダージッシモになると、俄然、旋律が甘美、陶酔的になる。よくマーラーの美しいメロディーというと、第5番の第4楽章のアダージェットが有名だが、それに並ぶと思う。ここで酔い始めると、魂がふわふわと宙をさまようような気になる。それが終結部まで続くのだ。
今思うと、この第8交響曲は非常に美しい曲である。ところが「千人の交響曲」と呼ばれ、何か、大掛かりな威圧的な曲という先入観ができてしまっている。これが鑑賞の邪魔をする。
マーラーはこの交響曲を自己の作品の集大成と考えていたらしい。
それにしても、興行主が話題のために考えたとはいえ、千人のメンバーで演奏するとは。1910年、第一次世界大戦前である。翌年の1911年にはリヒャルト・シュトラウスの歌劇「薔薇の騎士」が初演されている。
文明の爛熟というが、結果的には、これらはそれに値する作品となった。
妙なたとえかもしれないが、千メートルの高層ビルを建築するようなものだろう。確かに建築できるだろうが、そこまでやることがあるのか、という疑問も生じる。
人間には肥大化傾向がある。肥大化し、耐えられなくなると、自己崩壊する。
2016年、我々はどういう位置に立っているのだろう?
第8交響曲の甘美さ、美しさに酔い痴れたが、帰りの電車の中で、虚しさを感じたことも事実である。
(追記)2016.7.12
2016.7.12の日経新聞「文化往来」欄にこの日のコンサートのことが記されている。
2011年3月11日のコンサートはわずかな聴衆だったそうだ。電車も動いていなかったので、ホールまで行ける人はごく僅かだったはず。
7月4日のコンサートでは、合唱団とソリストで約200名ということだったらしい。数が違うんじゃないのかと思うが、確かなデータを参照したのだろう。
第二部の終わりは大きな音のうねりが素晴らしく、神秘的は大円団を迎えた、とある。
あの音は、1週間たったいまでも耳に残っている。
家で、バーンスタイン=ロンドン響、マゼール=ウィーン・フィルの第8交響曲のCDを何度か聞いたが、ホールの再現は無理である。
指揮はダニエル・ハーディング。新日本フィルハーモニー交響楽団。
独唱。ソプラノ:エミリー・マギー、ユリアーネ・バンゼ、市原愛
アルト:加納悦子、中島郁子
テノール:サイモン・オニール
バリトン:ミヒャエル・ナジ
バス:シェンヤン
合唱。栗友会合唱団。合唱指揮:栗山文昭
児童合唱。東京少年少女合唱隊 合唱指揮:長谷川久恵
マーラーの交響曲第8番は「千人の交響曲」と呼ばれている。マーラーが1910年に初演した時、ステージに1030人のメンバーがいたからである。
今回の演奏ではメンバーは400人程度だったと思う。(勘定したわけではないので正確な数はわからない。)サントリーホールの座席数は約2000人である。コンサートホールとしては標準だが、このホールで千人が演奏できるとは思えない。
マーラーが初演した時の会場を知りたくなり調べてみると、ミュンヘン博覧会の新祝祭音楽堂で、現在は、ドイツ博物館の交通館第一展示場になっている。いわゆる交通博物館である。これなら千人のメンバーが演奏できたのだろう。初演時の聴衆は3千人だった。
日本で千人のメンバーで演奏するとなると、日本武道館ということになるだろうか。あるいは(横浜)アリーナ・クラスだろう。
ダニエル・ハーディングは新日本フィルのミュージック・パートナーであったが、今年の秋にからパリ管弦楽団の音楽監督に就任する。ということで、ミュージック・パートナーとしては最後の公演で、演奏終了後にお別れの挨拶があった。
最初の公演が2011年3月11日だったそうで、あの東日本大震災の日にマーラーの交響曲第5番を演奏したとは……。余震が頻繁で、私など11日の夜はいつでも逃げ出せるように平服で寝たことを覚えている。
どの程度の観客が集まったものか? 余震がある中、どういう演奏をしたのだろうか?
さて、マーラーの第8交響曲は7月2日にすみだトリフォニ―ホールで聞いている。メンバーは同じである。2日の演奏はともかく「千人の交響曲」ということで好奇心が起きたものだが、2回目となると、この曲がどういう交響曲であるのか、ということに注目が行く。
この第8交響曲は二部構成で、第一部は讃歌である。歌詞はラテン語。内容は三位一体説に基づく。三位一体説が理解できないので、歌詞は正直なところチンプンカンプン。教会音楽が好きな人には親しめるだろうが、宗教曲の素養がないので、やはり縁遠い曲だった。
第二部はゲーテの「ファウスト」の終結部で、歌詞はドイツ語。当初のマーラーの構想は全4楽章だったのだそうで、第二部はアダージョで始まる。次いで、アレグロ。ここまでは、まぁまぁ。
次にテンポがまた落ちて、アダージッシモになると、俄然、旋律が甘美、陶酔的になる。よくマーラーの美しいメロディーというと、第5番の第4楽章のアダージェットが有名だが、それに並ぶと思う。ここで酔い始めると、魂がふわふわと宙をさまようような気になる。それが終結部まで続くのだ。
今思うと、この第8交響曲は非常に美しい曲である。ところが「千人の交響曲」と呼ばれ、何か、大掛かりな威圧的な曲という先入観ができてしまっている。これが鑑賞の邪魔をする。
マーラーはこの交響曲を自己の作品の集大成と考えていたらしい。
それにしても、興行主が話題のために考えたとはいえ、千人のメンバーで演奏するとは。1910年、第一次世界大戦前である。翌年の1911年にはリヒャルト・シュトラウスの歌劇「薔薇の騎士」が初演されている。
文明の爛熟というが、結果的には、これらはそれに値する作品となった。
妙なたとえかもしれないが、千メートルの高層ビルを建築するようなものだろう。確かに建築できるだろうが、そこまでやることがあるのか、という疑問も生じる。
人間には肥大化傾向がある。肥大化し、耐えられなくなると、自己崩壊する。
2016年、我々はどういう位置に立っているのだろう?
第8交響曲の甘美さ、美しさに酔い痴れたが、帰りの電車の中で、虚しさを感じたことも事実である。
(追記)2016.7.12
2016.7.12の日経新聞「文化往来」欄にこの日のコンサートのことが記されている。
2011年3月11日のコンサートはわずかな聴衆だったそうだ。電車も動いていなかったので、ホールまで行ける人はごく僅かだったはず。
7月4日のコンサートでは、合唱団とソリストで約200名ということだったらしい。数が違うんじゃないのかと思うが、確かなデータを参照したのだろう。
第二部の終わりは大きな音のうねりが素晴らしく、神秘的は大円団を迎えた、とある。
あの音は、1週間たったいまでも耳に残っている。
家で、バーンスタイン=ロンドン響、マゼール=ウィーン・フィルの第8交響曲のCDを何度か聞いたが、ホールの再現は無理である。
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