相模十三社 大山阿夫利神社 [旅行]
相模十三社巡りも最後になった。大山阿夫利神社下社を参拝する。
もう何回参拝しただろうか。少なくとも8回は参拝している。今さらの感があるが、大山ケーブルカーが5月中旬から補修工事に入るという。
車両も新しくなるので、現在の車両を見るのも、これが最後である。ということで、名残を惜しむつもりで大山まで出かけた。
バス停の大山ケーブルから大山ケーブル駅までは上りできつい。踊り場が27ある。10ぐらいで足に来た。体力の衰えを感じた。
下社駅でおりて、大山阿夫利神社下社までは近い。
大山阿夫利神社下社というと、この拝殿だが、第一次石油ショック後に完成したもので、それ以前は本殿しかなかった。
随分、境内の様子も違っていただろう。
江戸時代の大山参りの案内図が大山ケーブル駅に飾ってあるが、これを見ると、阿夫利神社という名前は出てこない。
現在の下社の場所には、不動堂が建っていた。阿夫利神社は石尊大権現と呼ばれた。
明治の神仏分離令で大山不動堂が廃寺になり、阿夫利神社となった。
下社の境内から三浦半島が見えたが霞んでいた。
帰りに大山寺に立ち寄る。大山不動堂が廃寺になったあと、明治18年に再建されたものである。
もう何回参拝しただろうか。少なくとも8回は参拝している。今さらの感があるが、大山ケーブルカーが5月中旬から補修工事に入るという。
車両も新しくなるので、現在の車両を見るのも、これが最後である。ということで、名残を惜しむつもりで大山まで出かけた。
バス停の大山ケーブルから大山ケーブル駅までは上りできつい。踊り場が27ある。10ぐらいで足に来た。体力の衰えを感じた。
下社駅でおりて、大山阿夫利神社下社までは近い。
大山阿夫利神社下社というと、この拝殿だが、第一次石油ショック後に完成したもので、それ以前は本殿しかなかった。
随分、境内の様子も違っていただろう。
江戸時代の大山参りの案内図が大山ケーブル駅に飾ってあるが、これを見ると、阿夫利神社という名前は出てこない。
現在の下社の場所には、不動堂が建っていた。阿夫利神社は石尊大権現と呼ばれた。
明治の神仏分離令で大山不動堂が廃寺になり、阿夫利神社となった。
下社の境内から三浦半島が見えたが霞んでいた。
帰りに大山寺に立ち寄る。大山不動堂が廃寺になったあと、明治18年に再建されたものである。
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