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「陽は昇る」(マルセル・カルネ監督) [映画]

この題名はおかしいでしょ。気が抜ける。ヘミングウェイの「陽はまた昇る」のパロディかと思ってしまう。題名でソンしている映画です。

題名でソンする映画もあります。ダグラス・サークの作品に「風と共に散る」というのがあります。上質のメロドラマもこの題名では、ね。邦題のつけ方が悪い。

「陽は昇る」は1939年のフランス映画。監督は名匠マルセル・カルネ。主演がジャン・ギャバン、アルレッティ、ジュール・ベリ、ジャクリーヌ・ローランです。一流のスタッフ・キャストを揃えている。

この映画は戦後ハリウッドでリメイクされ「長い夜」という邦題になりました。こちらの方の題名はよろしい。

「長い夜」もいつかは明け、「陽は昇る」のであります。映画の内容からいえば、「長い夜」の方がふさわしい。

下町。銃声がして、撃たれた男がドアを開け、階段を転げ落ち、死ぬ。警察官がやってくる。ドアに近づくと、中から銃弾が飛んでくる。

警官は周囲を包囲する。包囲された男がジャン・ギャバンで、その回想という形で映画は進行する。回想場面は3つに分けられている。現実の流れと回想の流れが交互に描かれる。こういう形式の映画はシナリオが難しい。下手をすると、散漫になってしまうから。

脚本は、ジャック・ヴィオ。台詞がジャック・プレヴェール。

主人公(ジャン・ギャバン)は、射殺した理由が自分でも分からない。わからないままに終わる。

嫉妬に狂い、逆上した、と指摘されれば、その通り。

映画を見ていると、逆上して我を忘れるということがある、と納得できる。

ジャン・ギャバンの怒りもすさまじいが、相手、つまり射殺されるジュール・ベリの演技はなおすさまじい。初老の脂ぎったイヤらしさが溢れ出ている。執心どころではなく、妄執です。これじゃ、殺したくもなるのも分かる。戦前のフランスの役者の凄さがわかります。うなります。

私は、こういう演技が好きだが、クサいと思う人もいるだろう。若い人にとってはどうかな…?


マルセル・カルネの作品は「詩的リアリズム」といわれて、フィルム・ノワールに大きな影響を与えたが、この映画でも、詩的場面がちりばめられている。

恋人の働いている花屋は線路の脇にある。場末の風景。汽車がもうもうと煙を立てて通り過ぎる。

あるいは、花屋で花に囲まれ、恋人は横たわり、愛を語る。

主人公は自殺するが、その遺体に朝日が美しく柔らかに差し込んでくる。(「陽は昇る」の題名は、ここから来ているのだろう。このカットは何を象徴しているのか、考えてしまう。昇天?)


台詞はジャック・プレヴェールが書いている。セリフが磨かれていることにも注目。

ーあなたの目は、片方は嬉しそうだけど、もう片方の目は悲しそう。

異性を口説くときに使いましょう。


ー不幸には慣れている。雨の日に停車場で市電を待っていたら、満員で乗れない。その次の電車も、またその次の電車も…。ずっと雨の中で佇んでいる。自分の人生はそんなものだった。


今回見たのは、COSMICの「フランス映画名作コレクション2」に収められたもの。画像は鮮明である。
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