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黒岩重吾展 神奈川近代文学館 [本]

神奈川近代文学館で黒岩重吾展が開催されていると知り出かける。

元町・中華街から港の見える丘公園まで上り、奥に歩くと、神奈川近代文学館がある。

天気、晴れ。気温も低くない。いよいよ春の観光シーズンの幕開けといってもいい日和だった。

霧笛橋を渡ると、神奈川近代文学館がある。

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黒岩重吾の本は、青春時代に愛読した。特に自伝的エッセイである「どぼらや人生」は印象に残る。この「どぼらや人生」と五木寛之の「風に吹かれて」が青春時代に繰り返して読んだ本である。

二人とも戦後の混乱時に、修羅場をくぐり抜けた点が共通する。黒岩重吾も、終戦時に北満州で兵役に服していた。普通ならシベリア抑留だったのだろうが、北朝鮮まで脱出した。これを描いた小説もあるようだが、読んだことはない。

黒岩重吾というと、関西系である。小説の舞台は、大阪のドヤ街、西成、飛田が多かったと記憶する。

黒岩重吾は、1980年代頃から、古代史ものに進路を変更した。その作品は読んでいない。

神奈川と黒岩重吾がどういう関係にあるのかがわからない。遺族から寄贈された原稿、書簡などの資料3900点あまりが神奈川近代文学館に収蔵されている。

今回は、これらの原稿類を見ることができた。黒岩重吾の本を読んでいた頃を思い出した。

黒岩重吾の影響はいまでも残っている。2011年3月に大阪に行った。福島原発事故があり、大阪に避難したのである。

その時に黒岩重吾の小説の舞台となった西成区へ行った。大阪のドヤ街である。飛田新地を見学した。こういう悪所は怖いので、金も最低限しか持たず、朝の10時頃に行った。10時頃なら、こういう町は眠っている。まぁ、安全である。

地下鉄の動物園前から南に歩いた。やがて、飛田新地料亭組合の看板が見えた。その先を左に曲がる。高速道が目標。飛田新地は高層道路の下に展開している。

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飛田新地は半ば公然たる売春地帯で、旧遊郭の名残を留めている。こういう風景は関東では見ることはできない。

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「いい子がいるよ」とオババに声をかけられたが、これは無視して通り過ぎる。

端は、崖の下で日のあたらない場所である。階段を上り、道に出る。この道が天国と地獄の境目と云うことだろうか。阿倍野区と西成区の境界道路である。右下に飛田新地があり、左側には団地が拡がっている。

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道路1本が境目である。お互いに無関心でなければ、生活できない。

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