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天皇号が使われない時代があった [雑感]

天皇号が使われない時代があった。

井沢元彦の「逆説の日本史15」の記述による。天皇号が使われない時代があった、というより、ほとんどの時代、天皇号は使われなかった。

これはビックリものだ。

冷泉天皇(967~969)から後桃園天皇(1770~1779)までは「天皇」号は使われていなかった。57代、約900年間「天皇」号は使われなかった。だから、冷泉天皇という呼び方は、ある意味、誤りだ。当時は冷泉院と呼んでいた。後桃園天皇もまた同様だ。後桃園院と呼ばれていたのだ。

天皇号を再度使い出したのは、光格天皇(在位1779~1817、その後太上天皇になり1840年崩御。)からである。これを知れば、光格天皇の存在の大きさが分かるが、私はこの名前、全然知らなかった。尊皇思想が隆盛になる時代に力を貸したことは間違いない。

「院」と呼ばれていた天皇家の人々は仏式で火葬され、京都の泉涌寺に葬られた。泉涌寺が天皇家の菩提所だった。

泉涌寺には3回参詣したことがある。京都の観光バスで行ったのが最初だったと思う。天皇家の菩提所と説明され、どうなっている?のという違和感を感じたことは間違いない。天皇家とお寺が結びつかなかったのだ。これは明治以後の常識が頭の中に埋め込まれていたからだ。

我々は近代天皇制を知っている。それが以前からあったものと錯覚している。天皇家の家系図を見れば、いずれも天皇号を使っている。しかし、後白河天皇も鳥羽天皇も天皇号を使っていたわけではない。「院」と呼ばれていた。


今上天皇は、火葬を望まれているという。後桃園院以前の時代に戻ろうということだろうか。「天皇」号ではなく、「院」号を望まれたら、政府はどう判断するだろうか?


タグ:天皇号
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