西安 大雁塔 [旅行]
洛陽・西安の旅、最後に訪れたのは大雁塔だった。
玄奘三蔵法師がインドから持ってきた経典類を収めた建物である。
駐車場から歩く。大雁塔と玄奘三蔵法師の像が見える。
玄奘三蔵法師蔵。
参道をなお大雁塔へ歩く。
大雁塔は上がれるが、少し考えた。旅行の最後ということで上がることにした。
仏殿があった。
金色の仏像だが、仏像は、本来これがあり得べき姿である。日本のように剥げたままにしておくのは異常というか、例外である。
大雁塔の最上階から外を見る。シルクロードの始まりである。
玄奘三蔵法師がインドから持ってきた経典類を収めた建物である。
駐車場から歩く。大雁塔と玄奘三蔵法師の像が見える。
玄奘三蔵法師蔵。
参道をなお大雁塔へ歩く。
大雁塔は上がれるが、少し考えた。旅行の最後ということで上がることにした。
仏殿があった。
金色の仏像だが、仏像は、本来これがあり得べき姿である。日本のように剥げたままにしておくのは異常というか、例外である。
大雁塔の最上階から外を見る。シルクロードの始まりである。
タグ:大雁塔
西安 青龍寺 第0番札所御朱印 [旅行]
以下、去年書いたもの。↓
2018/09/17 西安の青龍寺を参拝する。
西暦805年5月、弘法大師・空海はこの青龍寺に来て修行し、恵果阿闍梨から阿闍梨の称号を受け継いだ。12月、恵果阿闍梨は円寂。
翌年の806年8月、空海は唐を離れて帰国した。
ということで、四国八十八箇所霊場を開創する以前のことなので、この青龍寺は近年、第0番札所として注目されている。
中国には御朱印をもらうという習慣がない。従って、ここ貰う御朱印は、もっぱら日本人参詣客のためである。
空海が修行した青龍寺は1086年に廃寺となった。現在の建物は1980年代以降に日中友好を記念して建てられたものである。
2018/09/17 西安の青龍寺を参拝する。
西暦805年5月、弘法大師・空海はこの青龍寺に来て修行し、恵果阿闍梨から阿闍梨の称号を受け継いだ。12月、恵果阿闍梨は円寂。
翌年の806年8月、空海は唐を離れて帰国した。
ということで、四国八十八箇所霊場を開創する以前のことなので、この青龍寺は近年、第0番札所として注目されている。
中国には御朱印をもらうという習慣がない。従って、ここ貰う御朱印は、もっぱら日本人参詣客のためである。
空海が修行した青龍寺は1086年に廃寺となった。現在の建物は1980年代以降に日中友好を記念して建てられたものである。
タグ:青龍寺 西安 弘法大師
西安 青龍寺 0番札所 [旅行]
始皇帝陵から青龍寺へ。空海が修行した寺であり、そこから四国八十八カ所霊場の0番札所となった。
私のこの時の旅行の目的は、ここ。0番札所の御朱印をもらうことだった。
しかし、青龍寺は既に廃寺となっていて、現在のものは日中友好を記念して建てられたものである。これを知ったときは落胆した。日中友好も今では一昔前の話で、時代の移り変わりを感じる。
入ると、庭園になっていた。
回廊に師の恵果と空海の紹介がしてあった。
真言宗の僧侶は必ずここにお詣りに来るそうだ。
空海記念碑。
桜。花見もあると聞いた。
0番札所の御朱印ももらい、これで四国八十八箇所霊場巡りも完結した。
私のこの時の旅行の目的は、ここ。0番札所の御朱印をもらうことだった。
しかし、青龍寺は既に廃寺となっていて、現在のものは日中友好を記念して建てられたものである。これを知ったときは落胆した。日中友好も今では一昔前の話で、時代の移り変わりを感じる。
入ると、庭園になっていた。
回廊に師の恵果と空海の紹介がしてあった。
真言宗の僧侶は必ずここにお詣りに来るそうだ。
空海記念碑。
桜。花見もあると聞いた。
0番札所の御朱印ももらい、これで四国八十八箇所霊場巡りも完結した。
中国 西安・洛陽の旅 始皇帝陵 [旅行]
兵馬俑博物館近くで昼食をとり、始皇帝陵に向う。
昔は始皇帝陵は登ることができたという。今ではカートで周囲を回るだけ。しかし、時間がないのでカートで回ることもせず、遠望して終わった。
小山のようで、あまり面白くない。日本の古墳と同じである。
昔は始皇帝陵は登ることができたという。今ではカートで周囲を回るだけ。しかし、時間がないのでカートで回ることもせず、遠望して終わった。
小山のようで、あまり面白くない。日本の古墳と同じである。
タグ:始皇帝陵
中国 西安・洛陽の旅 兵馬俑博物館 [旅行]
西安のホテルを出発し、兵馬俑博物館に向う。ここに行きたいという人が多いらしい。
まぁ、なんていうか、巨大な体育館のようだった。
最奥では、修復作業を行っていた。
兵馬俑。次々とみていると、ゴッチャになってきた。
というわけで、有名な割りには印象が薄かった。
まぁ、なんていうか、巨大な体育館のようだった。
最奥では、修復作業を行っていた。
兵馬俑。次々とみていると、ゴッチャになってきた。
というわけで、有名な割りには印象が薄かった。
タグ:兵馬俑博物館
中国 西安 明代城壁 [旅行]
洛陽駅から西安駅に到着。夜の7時だった。
西安は市の中心部から離れた駅だったらしい。西安北駅である。
切符を買う人が行列していた。
このまま食事してホテル直行かと思ったら、明代城壁に立ち寄ったのだ。
城壁に登る。夜景は美しかったが、城壁がどんなものかは分からず。
西安は市の中心部から離れた駅だったらしい。西安北駅である。
切符を買う人が行列していた。
このまま食事してホテル直行かと思ったら、明代城壁に立ち寄ったのだ。
城壁に登る。夜景は美しかったが、城壁がどんなものかは分からず。
タグ:西安北駅 明代城壁
中国 洛陽・西安の旅 洛陽駅 [旅行]
洛陽駅から西安駅へ高速鉄道に乗るべく、洛陽駅に到着。
ところが、ここでトラブルが発生した。西安行きの高速鉄道が運休になっていたのだ。理由は、台風の影響で、始発の広州が列車の運行を停止していたからだ。
駅の中には入れなかった。駅入口で検査があり、切符がないと構内に入れない。中国の検査は厳重である。
外で待つ。
中国は高速鉄道をどんどん建設しているが、住民対策の煩わしさから、問題が起きにくい郊外に駅を建設するが、洛陽駅は市内からさほど離れていない。駅前は再開発していた。
現地ガイドが2時間後のチケットを入手。上海発の便だった。
駅構内に入って待つ。中国の高速鉄道には初めて乗るので好奇心はあった。中国の施設は日本人から見ると、だだっ広い。
時間にホームに下りる。ホームに入るときに手荷物検査がある。駅の入口で検査され、ホームに入るときに再び検査されるわけだ。これが当たり前かと思う。日本の新幹線は無防備である。
高速鉄道では、やはり、マナーの悪い乗客がいた。中国だから仕方なし。
ところが、ここでトラブルが発生した。西安行きの高速鉄道が運休になっていたのだ。理由は、台風の影響で、始発の広州が列車の運行を停止していたからだ。
駅の中には入れなかった。駅入口で検査があり、切符がないと構内に入れない。中国の検査は厳重である。
外で待つ。
中国は高速鉄道をどんどん建設しているが、住民対策の煩わしさから、問題が起きにくい郊外に駅を建設するが、洛陽駅は市内からさほど離れていない。駅前は再開発していた。
現地ガイドが2時間後のチケットを入手。上海発の便だった。
駅構内に入って待つ。中国の高速鉄道には初めて乗るので好奇心はあった。中国の施設は日本人から見ると、だだっ広い。
時間にホームに下りる。ホームに入るときに手荷物検査がある。駅の入口で検査され、ホームに入るときに再び検査されるわけだ。これが当たり前かと思う。日本の新幹線は無防備である。
高速鉄道では、やはり、マナーの悪い乗客がいた。中国だから仕方なし。
タグ:洛陽駅
中国 洛陽・西安の旅 龍門石窟 [雑感]
洛陽、関林廟から龍門石窟へ。世界遺産である。
入口から伊河に反って歩く。
龍門石窟は、印象はよろしくない。穴だらけである。つまり、納められていた仏像は大方盗まれてしまっているからである。
残った仏像を見ても、観光客は多いし、落ち着かない。中国の観光地はどこもオーバーツーリズムだ。
保存状態にいいものは、則天武后が寄進したという盧舎那仏である。
何故これが残っているかというと、大きすぎて盗めなかったから(笑)だろう。
対岸から見る。
歩き疲れるが、あとは高速鉄道で西安に移動するだけである。
入口から伊河に反って歩く。
龍門石窟は、印象はよろしくない。穴だらけである。つまり、納められていた仏像は大方盗まれてしまっているからである。
残った仏像を見ても、観光客は多いし、落ち着かない。中国の観光地はどこもオーバーツーリズムだ。
保存状態にいいものは、則天武后が寄進したという盧舎那仏である。
何故これが残っているかというと、大きすぎて盗めなかったから(笑)だろう。
対岸から見る。
歩き疲れるが、あとは高速鉄道で西安に移動するだけである。
タグ:龍門石窟
中国 洛陽・西安の旅 関林廟 [雑感]
洛陽のホテルに宿泊する。洛陽と西安は古都である。日本で言えば、京都・奈良のようなものだ。
ホテルの窓から。
ホテルを出発し、最初に見学したのが関林廟である。
ところで、「廟」と「陵」とどっちが格上か、知っているだろうか。始皇帝陵があるように皇帝の墓地は「陵」である。「陵」の方が上かと思いがちだが、「廟」の方が上である。
「廟」は中国には二つしかない。孔子の「孔林廟」と関羽の「関林廟」である。文の孔子と武の関羽である。孔子が崇められるのは分かるが、関羽信仰は日本人には理解しにくい。
横浜の中華街にも関帝廟があるが、中華街を散策する人も関心を持つ人は少ないね。
以前孔林廟を見学したときは団体観光客で賑わっていたが、関林廟は早朝だったためもあるのか、個人が参拝していただけだった。
金色に塗られた像だが、何か、不気味な気がしたものだ。
もっともこれが普通なのだろう。日本のように剥げたまま、色は褪せたままにしておくのがおかしい。
ここで終わりではなく、この奥がまだあるのだ。
境内を歩く。
木に赤いリボンを結ぶ。願をかけたのだろう。
ホテルの窓から。
ホテルを出発し、最初に見学したのが関林廟である。
ところで、「廟」と「陵」とどっちが格上か、知っているだろうか。始皇帝陵があるように皇帝の墓地は「陵」である。「陵」の方が上かと思いがちだが、「廟」の方が上である。
「廟」は中国には二つしかない。孔子の「孔林廟」と関羽の「関林廟」である。文の孔子と武の関羽である。孔子が崇められるのは分かるが、関羽信仰は日本人には理解しにくい。
横浜の中華街にも関帝廟があるが、中華街を散策する人も関心を持つ人は少ないね。
以前孔林廟を見学したときは団体観光客で賑わっていたが、関林廟は早朝だったためもあるのか、個人が参拝していただけだった。
金色に塗られた像だが、何か、不気味な気がしたものだ。
もっともこれが普通なのだろう。日本のように剥げたまま、色は褪せたままにしておくのがおかしい。
ここで終わりではなく、この奥がまだあるのだ。
境内を歩く。
木に赤いリボンを結ぶ。願をかけたのだろう。
タグ:関林廟
中国 洛陽・西安の旅 少林寺③ [旅行]
少林寺の伽藍を見学した後、高僧たちの墓園まで歩く。
墓のようには見えなかった。
このあと、少林寺ということでカンフーショーを見た。
素人が参加して奇妙な動きをするので大笑い。あれはサクラだったのかなと、今になって思う。
少林寺をあとにして、洛陽に向う。
墓のようには見えなかった。
このあと、少林寺ということでカンフーショーを見た。
素人が参加して奇妙な動きをするので大笑い。あれはサクラだったのかなと、今になって思う。
少林寺をあとにして、洛陽に向う。
タグ:少林寺