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神奈川フィル演奏会 [音楽]

2022/02/05 県民ホール。14時~

神奈川フィルの演奏会に出かける。指揮が大植英次ということで、一度は聞いておこうと思ったからだ。

大植英次というと、颯爽としてイメージを持っていたが、登場する姿を見てびっくりした。ビール腹だし、歩き方もヨタヨタしている。ちゃんと指揮台に上がれるのかどうか不安になったぐらいだ。

プログラムは、面白くないものだった。大植英次が指揮しなければ避けた曲目である。

①山田耕筰の「序曲」。1912年の作品。日本初の管弦楽作品ということだ。ドイツロマン派風の曲で4分程度の曲だった。明治維新から56年がたっている。やはり新しい文化を咀嚼するには半世紀ぐらいはかかるらしい。もっともこのあとの日本の音楽界の変遷も激しく、戦前には早くもラヴェル風、プロコフィエフ風の作品が作曲されている。(作曲者の名前は忘れた。)

小説界を見ても、次々と新思潮が現れて、10年ごとに”新しい”小説が現れ、一昔前の小説を”古い”と切り捨てた。節操も何もあったものではないが、これが明治以降の日本である。「鞭で追われているようだ」と云ったのは漱石か鴎外だったか。

以後現代まで、海外の風潮をそのまま受け入れることに変わりがない。最近は特に激しい。現代日本人は鞭で追われるように生活している。その異常性を自覚しているかどうか。

②ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。吉田南のヴァイオリン。いかり肩のドレスに似合わないヴァイオリニストだった。しかし、パワーはあった。きちんと音が通る。これは嬉しい。ブルッフのこの曲は、頭も尻尾も分からない延々と続くような曲だ。演奏する方にとっては乗りやすい曲かもしれないが、聞く方はつらい。今回は、ヴァイオリンに酔うような感覚を覚えたから、いい演奏だったのだろう。吉田南のリサイタルがあったら聞いてみたい。

③シューマンの交響曲第2番。予習のためにカラヤンのCDを聞いたが、途中で居眠りした。ツマラナイ曲である。神奈川フィルの響きを聞ければそれでよし。第1楽章は案の定おもしろくない。第2楽章で、弦が刻み始めると、ゾクゾクしてきた。第3楽章は暗いというのか、闇の中を情念がうねるような重さを感じた。神奈川フィルの管楽器群の表現が素晴らしかった。第4楽章は、聞き覚えのある旋律だったが、大植英次の指揮は重たかったような気がする。ゆっくりジワジワと終結部に持っていったようである。感動は大きかったが、外に発散するようなものではなく、内に沈み込むものだった。長く残る。快活な指揮とはとても云えず、チェリビダッケの指揮ぶりを思い起こした。そういえば、体型もチェリビダッケに似ている。また、別の演奏会を聞きに行きたい。

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