2007年京都御朱印行脚➄ 光悦寺 [旅行]
2007年3月21日。まず源光庵に向かう。京都市の北、鷹峯にある。ここは丹波からの物資の集散地で長坂口と呼ばれた。
源光庵前に行くと、春のお彼岸法要のため参観は14時から受付と掲示されていた。
お彼岸だということに気付く。私がお彼岸に無関心なのは、わが家が神道だからで、神道にはお彼岸はない。
午前中、お寺はだめかもしれないと気付く。いちおう光悦寺まで歩く。光悦寺は参観できた。ここは茶道の寺で、おそらく檀家はいないのではないか。お彼岸の法要も行わないのだろうと思った。
1615年、本阿弥光悦が徳川家康からこの地を拝領し、芸術家、職人とともに移住した。光悦の結んだ草庵が死後、太虚庵光悦寺となった。
お寺というより、茶室に行くような気分を起こす寺である。
これがお寺の入り口。お寺らしくない。風情があり、お茶室へ行くような気がする。
参道を歩く。紅葉はさぞ見事だろうと思わせるものがある。源平庵と並び、光悦寺は紅葉の名所として知られている。
本堂。
境内。垣根が光悦垣と呼ばれる独特の竹組をしている。
茶室は五つある。茶室の様子。
私はお茶には無関心であるので、こういう良さがわからない。10年前ぐらいになるだろうか、旅で同行した婦人が茶道の先生をしていて、たまに京都のお茶会に日帰りで参加するという話をしていた。京都のお茶会はそれだけの魅力があるらしい。
やはり、ここは紅葉の季節に訪れてみたいところだ。
<御朱印>
源光庵前に行くと、春のお彼岸法要のため参観は14時から受付と掲示されていた。
お彼岸だということに気付く。私がお彼岸に無関心なのは、わが家が神道だからで、神道にはお彼岸はない。
午前中、お寺はだめかもしれないと気付く。いちおう光悦寺まで歩く。光悦寺は参観できた。ここは茶道の寺で、おそらく檀家はいないのではないか。お彼岸の法要も行わないのだろうと思った。
1615年、本阿弥光悦が徳川家康からこの地を拝領し、芸術家、職人とともに移住した。光悦の結んだ草庵が死後、太虚庵光悦寺となった。
お寺というより、茶室に行くような気分を起こす寺である。
これがお寺の入り口。お寺らしくない。風情があり、お茶室へ行くような気がする。
参道を歩く。紅葉はさぞ見事だろうと思わせるものがある。源平庵と並び、光悦寺は紅葉の名所として知られている。
本堂。
境内。垣根が光悦垣と呼ばれる独特の竹組をしている。
茶室は五つある。茶室の様子。
私はお茶には無関心であるので、こういう良さがわからない。10年前ぐらいになるだろうか、旅で同行した婦人が茶道の先生をしていて、たまに京都のお茶会に日帰りで参加するという話をしていた。京都のお茶会はそれだけの魅力があるらしい。
やはり、ここは紅葉の季節に訪れてみたいところだ。
<御朱印>
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