2007年京都御朱印行脚① 壬生寺 [旅行]
京都・壬生寺というと、新選組を思い起こす。新選組の屯所がここに置かれていたからである。
壬生寺を訪れたのは2007年3月20日のことである。この時の京都旅行の目的は、ただひとつ。御朱印を集めること。この一点。
従って、お寺・神社に行っても賽銭を投げ込み、御朱印をもらうだけ。寺院やお寺の由緒・宗派は無関心。祀られている本尊も気にしたことがなかった。
もともと我が家は神道なので、仏教の宗派には無関心だった。ただ、御朱印の貰いやすい仏教宗派と貰いにくい宗派は御朱印集めの関係上知っておく必要があった。
もっとも御朱印をもらいにくい宗派は浄土真宗である。京都の東本願寺、西本願寺でも御朱印はもらえない。次いで、禅宗系ももらいにくい。禅宗系の寺院は断られることがある。
御朱印をもらいやすい宗派は真言宗系だ。日蓮宗ももらいやすいが、個人的には日蓮宗はウマがあわない。
浄土真宗はだめだが、浄土宗はもらえる。御朱印集めをしていると、大方の傾向は分かってくる。
★京都へ着くと、地下鉄で四条駅。ここで阪急線の乗り換え、大宮駅でおりる。大宮駅から壬生寺まで歩いた。
新選組に縁の深い寺で境内には近藤勇の像もあったはずだが、写真に撮っていない。関心がなかったのだろう。
境内の建物は新しい。1962年に放火で全焼し、1970年に再建された。歴史的価値のあるものではない。
千体仏塔。
観音堂。
御朱印は三つ貰える。一つの寺でいくつも貰えるところがあるが、この当時は基本的には全部貰っていた。
<本尊>
<観音>左下には、「中院」と記されている。
<薬師>
★これがこの時の御朱印行脚の始まりだったが、3月20日に行ったということは、翌日が21日。お彼岸である。お彼岸に気がつかないで出かけたのは間が抜けていた。翌日は大幅に予定を変更するハメになった。
壬生寺を訪れたのは2007年3月20日のことである。この時の京都旅行の目的は、ただひとつ。御朱印を集めること。この一点。
従って、お寺・神社に行っても賽銭を投げ込み、御朱印をもらうだけ。寺院やお寺の由緒・宗派は無関心。祀られている本尊も気にしたことがなかった。
もともと我が家は神道なので、仏教の宗派には無関心だった。ただ、御朱印の貰いやすい仏教宗派と貰いにくい宗派は御朱印集めの関係上知っておく必要があった。
もっとも御朱印をもらいにくい宗派は浄土真宗である。京都の東本願寺、西本願寺でも御朱印はもらえない。次いで、禅宗系ももらいにくい。禅宗系の寺院は断られることがある。
御朱印をもらいやすい宗派は真言宗系だ。日蓮宗ももらいやすいが、個人的には日蓮宗はウマがあわない。
浄土真宗はだめだが、浄土宗はもらえる。御朱印集めをしていると、大方の傾向は分かってくる。
★京都へ着くと、地下鉄で四条駅。ここで阪急線の乗り換え、大宮駅でおりる。大宮駅から壬生寺まで歩いた。
新選組に縁の深い寺で境内には近藤勇の像もあったはずだが、写真に撮っていない。関心がなかったのだろう。
境内の建物は新しい。1962年に放火で全焼し、1970年に再建された。歴史的価値のあるものではない。
千体仏塔。
観音堂。
御朱印は三つ貰える。一つの寺でいくつも貰えるところがあるが、この当時は基本的には全部貰っていた。
<本尊>
<観音>左下には、「中院」と記されている。
<薬師>
★これがこの時の御朱印行脚の始まりだったが、3月20日に行ったということは、翌日が21日。お彼岸である。お彼岸に気がつかないで出かけたのは間が抜けていた。翌日は大幅に予定を変更するハメになった。
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