2013年3月2日 イースター島 [旅行]
2013年3月2日。イースター島を観光した。
船がイースター島沖に到着したのは2月28日だった。島影だけで心ときめく。イースター島にはそれだけのネーム・バリューがある。
イースター島には港と呼べる施設がない。島に上陸するには沖に停泊する船からタグ・ボートで島の船着き場まで行かなければならない。
タグ・ボートは1回で9人しか乗せることができない。900人の乗船客が島を観光するには一日では無理である。結局、乗船客を半分ずつに分けて、2日かけて島を観光することになった。
問題はイースター島は波が荒く、上陸できないこともある、ということである。上陸できる確率は3分の2である。そこで予備日を一日設けた。順調なら二日、天気が悪ければ三日、島の沖に停泊する。
一日目の2月28日は順調に上陸できた。ところが、二日目の3月1日は波が荒く、上陸中止。私はあいにく後の組で、明日の天候に期待するしかなかった。
三日目の3月2日は、天気が回復した。これにはホッとした。
タグ・ボートに乗り、島に向かう。
この”港”では天気が悪ければ上陸できないと納得した。しかし、なぜきちんとした港を作らないのかとも思った。日本では考えられないことである。
生活物資をどうやって島に搬入するのかと疑問にも思った。
バスに乗り、一路、モアイを目指す。イースター島といえば、モアイである。
モアイを見た時の感想は、やっとここまでやって来たか、ということ。小雨になったが、遊歩道が設けられているので歩きやすかった。
周囲の風景は荒涼としている。イースター島は環境破壊の反面教師である。かってはこの島が鬱蒼とした樹木で覆われていたということが信じられない。
何はともあれ、モアイとランデブーの記念写真を一枚。
海辺に立つモアイ像群まで行く。しかし、これは復元されたものである。
このあと、海辺に行き、昼食となったが、コッペパンのみ。普通の弁当をもって島に上陸することができない。生物汚染を防ぐためである。
島のメイン道路は舗装されていたが、海岸へ行く道は凸凹道でひどいものだった。乗っているだけで、体がおかしくなる。
先住民の遺跡と火口湖を見て、船着き場に戻る。
船はイースター島を一周した後、タヒチ島に向かった。夜の9時近くだったが、この明るさである。夕焼けが美しかった。
船がイースター島沖に到着したのは2月28日だった。島影だけで心ときめく。イースター島にはそれだけのネーム・バリューがある。
イースター島には港と呼べる施設がない。島に上陸するには沖に停泊する船からタグ・ボートで島の船着き場まで行かなければならない。
タグ・ボートは1回で9人しか乗せることができない。900人の乗船客が島を観光するには一日では無理である。結局、乗船客を半分ずつに分けて、2日かけて島を観光することになった。
問題はイースター島は波が荒く、上陸できないこともある、ということである。上陸できる確率は3分の2である。そこで予備日を一日設けた。順調なら二日、天気が悪ければ三日、島の沖に停泊する。
一日目の2月28日は順調に上陸できた。ところが、二日目の3月1日は波が荒く、上陸中止。私はあいにく後の組で、明日の天候に期待するしかなかった。
三日目の3月2日は、天気が回復した。これにはホッとした。
タグ・ボートに乗り、島に向かう。
この”港”では天気が悪ければ上陸できないと納得した。しかし、なぜきちんとした港を作らないのかとも思った。日本では考えられないことである。
生活物資をどうやって島に搬入するのかと疑問にも思った。
バスに乗り、一路、モアイを目指す。イースター島といえば、モアイである。
モアイを見た時の感想は、やっとここまでやって来たか、ということ。小雨になったが、遊歩道が設けられているので歩きやすかった。
周囲の風景は荒涼としている。イースター島は環境破壊の反面教師である。かってはこの島が鬱蒼とした樹木で覆われていたということが信じられない。
何はともあれ、モアイとランデブーの記念写真を一枚。
海辺に立つモアイ像群まで行く。しかし、これは復元されたものである。
このあと、海辺に行き、昼食となったが、コッペパンのみ。普通の弁当をもって島に上陸することができない。生物汚染を防ぐためである。
島のメイン道路は舗装されていたが、海岸へ行く道は凸凹道でひどいものだった。乗っているだけで、体がおかしくなる。
先住民の遺跡と火口湖を見て、船着き場に戻る。
船はイースター島を一周した後、タヒチ島に向かった。夜の9時近くだったが、この明るさである。夕焼けが美しかった。
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