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もろもろのつみけがれをはらへたまえ [雑感]

湯殿山神社は「語ってはいけない」神社である。最初に見た時は、余りに奇妙なので驚いた。よくよく考えれば、日本人の信仰の原点がここにある。いいとか悪いとかは考えず、尋常でないものに対する畏れが源にある。

神社の入り口で靴、靴下を脱ぐ。ズボンは裾を上げておく。濡れないようにである。裸足になって、入り口で神職のお祓いを受ける。人型の紙を渡される。

「もろもろのつみけがれをはらえたまえきよめたまえ」と書いてある。それに息を吹きかけ、邪悪なものを人型の紙にうつす。紙を水に流す。

これが日本人の清浄感である。罪、穢れは水に流せる。

これに対し、水に流せないとするのは、お隣の中国と韓国である。儒教には赦しがない。

悪は永遠に悪である。この原理が分からないから、中国・韓国との軋轢が絶えない。

どうすればいいのか。謝る必要はない。儒教国家には赦しがないからである。謝れば、一歩ずつ入り込んでくるだけである。

河野談話、村山談話の誤りは、この儒教の本質を認識していなかった点にある。
タグ:湯殿山神社
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